ご飯はいつも一合。食事はほぼ一日一食。

久しぶりにカレーを作った。
朝起きてなんとなく玄関のあたりを掃除していたら、ずっと使っていなかった鍋を見つけて、惰性でそれを洗った。そして次に鍋の蓋を見つけてこれもまた洗った。ここまでは、意味の無い行為だ。たとえば、どっちへ行ってもいい道をどっちかに行ったとか、あるいは食券販売機であまり内容の変わらないA定食とB定食のどちらかを押した、といった行為にしか過ぎず、何故そうしたのか?と聞かれても答えようの無い行為だった。
しかし次は、流しにあるカレー皿を見つけて洗った。カレーを作ることにしたのだ。そうすると次にすることも決まってくる。玉ねぎを切ってウィンナを切ってキャベツを切って・・・、意味を説明できる行為ばかりである。もし出来上がったカレーを窓から放り投げたりすれば、これは、意味から解放される試みになるのかもしれないが、そんなことはした事が無い。意味が無いからだろう。
意味があるから、意味が無いのだ。意味から逃れようとしてやった行為は「意味から逃れる」という意味があるから、意味からは逃れられず、つまりそんなことをしたところで意味が無い。「何も考えないためにはどうすればいいのか」などと考え続けるのと同じで、あまり賢明な行為ではない。無駄ということだ。諦めるしかない。とにかく、カレーは食べてしまった方が良い。その方がおいしいしカロリィも摂取できる。
しかしあまりおいしくはなかった。バナナを入れなかったためであろう。


さいきん、空腹という状態がわからない。しかし、物を食べないと色々と不都合が生じてくる。たとえば体の動きが鈍くなってくるし、頭も動かなくなる。低血糖になって体が震えることもよくある。これになるとなんだか不安になってきて、一刻も早くカロリィを摂取しないといけない、という気分になってくる。そうなってはじめて食事をする。
空腹を感じないなんて異常じゃないか、不健康体なんじゃないか、と思うだろう。しかしこれは、頭や体に不都合が生じるまで食べる必要が無いだけなのかもしれない。今のぼくは、食事の必要を感じてからすぐに食事をとれる環境にいる。たぶん、もうそれに慣れたのだろう。一方、空腹を感じるというシステムは、かなり余裕を持たせたエネルギー補給の要求なわけだから、それだけカロリィをすぐには摂取できない環境にいると考えられる。食事をとる時間が自由にならなかった時期にはよく空腹になっていたから、案外この考えは当たっているような気がする。
期せずして家の中にばかりいるのが露呈されたような気もするが、たまには外に出る。一週間に一度は授業があるからその日は必ず出るし、さいきんは、二週間に一度の用事もできた。たいてい曜日が違うので、つまり、週に二度外出する時もある。用事とは図書館に行くことだ。
たぶん2ヶ月くらい前、まだ行ったことの無かった遠くの図書館に行ってみたのだが、それ以来、約2週間ごとにそこから本を借りている。本の返却期限が2週間なので、その期限が迫ると返しに行きその時にまた借りるということを繰り返しているのだ。最初に借りなければこんなことにはならなかった。
なんでもそうだが、借りたものは返さなくてはいけない。そして図書館で本を借りた場合、その本を借りた図書館へ返しに行く必要がある。そして、ここが肝心なところであり、誘惑というか甘美な罠というか地獄への入り口なのだが、図書館へ行ったからには本を借りないと損だ。そして普通、損は避ける。だからまた本を借りる。
この連鎖を断ち切るには、借りるのを我慢するか、あるいは、本を返すのをやめるかしかないが、どちらも実践できていない(本を借りるのを有料にしてもらっても良いが無理だろう)。なので今のところ、毎回リュックサックが肩に食い込むくらい大量の本を借りることで、自分の決断力の無さに対してバランスをとっている。
どうせ借りるなら、思いっきり借りてしまえば良い。そうすれば一連の行為の認識を、意志薄弱によって「借りてしまった」のではなく、自分の意志によって「借りた」という方へシフトすることができ、自尊心が傷つかなくてすむ。
どうせ負けるなら思い切り負ける、必要以上に負ける、こういう方法で精神のバランスをとることはよくある。ぼくはその状況を、かたつむりになる、と言っている。今考えた。とにかく、亀になるでもだんご虫になるでもなんでも良いが、頭を引っ込めて殻に閉じこもるイメージである。
かたつむりになるのは、相手が中途半端に強い時だ。自分が負けて当たり前、という状況を作り出すために、相手を強いことにするのである。というよりも、自分を弱いということにして、相対的に相手を強くしているのだろう。図書館の場合、むこうに借りさせる力が有ると思うより、自分は誘惑には逆らえないんだ、とかたつむりになってしまえばいい、というわけだ。逆に相手が本当に強ければかたつむりになる必要は無い。居直って、等身大の自分がただ負ければよいだけだ。これは負けて当たり前なのだから自尊心が傷つくわけが無い。


―――
この時期カレーは一度常温になったら鍋ごと冷蔵庫に入れてしまう。二食目以降は、冷えたカレーを底の深い皿に盛って電子レンジで暖めて、その上にご飯をかけるということにしている。ご飯が下だから、ライスカレーというのか。これに、よく、ご飯の真ん中を窪ませて生卵を落としたりする。
写真を載せる。生卵嫌いにはグロ画像かもしれない。



赤いのは福神漬けだ。500gのを100円ショップで買ったのだが、味が良くない。食感もダメだ。100円ショップでは以前、醤油にんにくを買ったことがあるがこれもダメだった。多分ぼくが言うのだからかなりおいしくないのだと思う。沢山入っていて100円だから買ったのに、福神漬けもにんにくも全然減らない。



そしてこれはご飯の上にキャベツとウィンナを炒めたものの上に卵2を投げやりにオムレツにしたものをのせたものだ。これは昨日食べた。




今日の日記もかなり投げやりだ、なんて言ったところでまとまってもいないしオチてもいないだろう。これを最後まで読んだ人の怒りが計り知れない・・・ようなきがする。