「くるいたいよう」

黒い太陽ではない。狂いたい、と切望しているのだ。
僕がその声を聞いたのは、ある狭い居酒屋で一人で飲んでいる時だった。「一人で」という説明が、一文が長くなるという読みにくさを押してでも即座に挿入されるのは、ただ「一人で飲んでいる」ということに「一人で飲んでいる」という意味以上の説明をしたくないからだ。
その声が聞こえたのは、ビールがまわって、つまりアルコールが十分に血液に浸透して、かなり覚醒の度合いが低くなったころだった。僕は一瞬、自分の頭の中で生み出した音だと思った。そういうことはよくある。つまり幻聴だ。しかし今回は違った。どうやら左隣の女が言っているようなのだ。酔いの回った頭で遠慮なく左を向くと、うつむきながら唇が何度も「くるいたいよう」の形をとっていた。
僕は見抜いて言った。
「それを僕に聞かせている君の心は狂っていないとでも言いたげだね」
自覚が一体どれだけのものだろうか。作られたシステムは僕らの中にあって、僕らの中には無い。つまり、現象は起こっているのだが、それを観測する手だてがない。それか、観測という行為が現象の成り立つ条件を邪魔してしまっているのかもしれない。そういうことも、よくある。
いつの間にか左側には誰もいない。僕は唇だけで「くるいたいよう」の形をとってみた。次の瞬間に僕がするべきことは、小さく笑うか少し泣くかのどちらかしか無いと感じて、少し迷ってから笑ってみた。そしてさっき自分が言った事の意味ついて考えてみたが、今はもう、よくわからなかった。発言する瞬間はたしかに辻褄が合っていたのに、今考えてみると何がどう関係しているのかが不明だ。こういうことも、よくある。もちろん酔っぱらいに限定しての話だ。