新聞をとることの意味

新聞をとって5ヶ月くらいになる。正直かなり飽きてきたのだが、向こうは毎日届けにくる。たぶん、金を払うのをやめるまで続けるつもりだろう。
ところで、「新聞は見出しを読むだけでも意味がある、世の中のことがわかる」などと言われることがあるが、今の時代見出しなら(記事の内容もだが)yahooやgoogleのニュースで各新聞のものがいくらでも読める。そんな時代に、見出しだけしか読まないとしたら新聞をとる意味が無いと思う。
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深夜にネットニュースを一通り回ってから翌朝に新聞を開くとどうなるか知っているだろうか。すでに知っているニュースばかりである。紙面を多く使っている記事ほどその傾向が強い。そのため、一度ネットでニュースを読んでしまうと新聞のほとんどを読まなくても良い、ということになる。
残りはコラムやマイナなニュースしかない。これは稀に面白いものがあるが、あまりに稀にしかないのが難点だ。そんなものを毎日は読めない。
というわけで、ぼくが毎日読んでいるのは『コボちゃん』しか無い。ちなみに今日のはかなりおもしろかった。読売新聞をとってないひとは図書館へレッツゴーするしかないだろう。
(ところで新聞を届けてもらってコボちゃんしか読まなかったりコボちゃんを読むためだけに図書館へ出かけるのもなかなか高貴な行為ではないかと思う)