捨て猫

これは8月の終わりの話であるが、また店の駐輪場に猫が捨てられていた。前回はいつだったか。ちょうど2年位前か。同じ店ではなかったし場所も精米機だった。今よりは寒かった頃だ。
今回は1匹でダンボールの中に入っていた。ちょうど目が開くか開かないくらいの幼猫で箱の中にはトイレ砂や哺乳瓶が入っており、一度は飼おうとした形跡がみられた。それか、幾匹か生まれたうちの1匹を捨てたか。
誰かもらう人がいないか、心当たりのある人ない人に声をかけてみたが、だめだった。
店の近くには野良猫が集まるノラハウス(ハウス栽培のハウス)がある。結局、そこに置いてくることになった。
ノラハウスには前から子猫が9匹と親猫が2匹いる。ノライレブンである。
数日経ってから見に行ったが、同じイレブンのままであった。
猫を捨てた奴は許せないが、ぼくらも捨てられた猫をもう一度捨てたことになる。
――――――
関係ない話かもしれない。
この間テレビでやっていたのだが、困っている人がいても、周りに人がいればいるほど手を貸す人が減る、という実験をしていた。例えば、試験官が教室から出て扉を閉めた瞬間に、倒れる音とうめき声がする、という実験では、教室で5人試験を受けているときは誰も立ち上がらないが、1人で受けているときはその人はすぐに隣室にかけつける、というものだ。
他にも色々な例があり、人が沢山いるほど誰かがなんとかするだろうという心理が働くのです、という実験結果だったが、すぐ隣の部屋でうめき声をあげているひとがいるのに、何分経ってもついに誰も助けに行かなかった映像は異様といってよかった。あれを見た多くの人は、自分なら助けに行く、と思ったはずだ。
しかし、相手は猫だったが今回のぼくらだって同じだ。

誰か飼ってくれる人が見つかるまで面倒を見るとか、それくらいのこともできない自分が嫌であると言う話をしたかった。
そのまま飼うことになったっていいじゃないか。また前みたいに、実家に置いてくればいいだけのことだった。ある程度大きくなってからノラハウスに放つとか。
しかしそれでまた新たな子猫が生まれて同じことの繰り返しであるとか、だから目の前だけどうにかしたってどうなるものでもないとか、見つけた端から野良猫を拾っていたらきりがないとか、そういう理屈もわかるが、実際に捨てられた幼猫を目の前にして、ただ殺せるかといったら無理だろう。半端にでも面倒を見てしまうんじゃないか。だって・・・
人間だってその程度の気まぐれの優しさみたいなもので誰かから救われたりしているのであるし。