悪い人間

5歳くらいの頃、公園に住みついていた小猫を、公園から離れた空地のドラム缶に監禁したことがある。みんなで可愛がっていた猫だったが、独り占めにしたかった。ドラム缶には、家の冷蔵庫から持ってきたウィンナを10本くらい投げ入れた。
次の日、幼稚園から帰ってきて遊びに行く前、空地のドラム缶を覗いたらちゃんと猫がいた。そのことにたぶん満足だったと思う。
次の日も居た。でも餌を全然食べていなかったから、このままでは殺してしまう、と思った。怖くなって、さらった時と同じ袋に猫をつめて公園に走った。雨の日だった。
雨の日の記憶というのはどうしてこう鮮明なのか。
友達が何人かいた。見つからないように、一番離れて、何でもないように袋を開けると、飛び出した。親猫がいる小屋の方向だ。
泣きたかったけど泣けなかった。無く資格が無いからだ。誰かに見つかれば、泣いて反省しただろう。でも見つからなかった。自分は悪い人間だ、という消化をしたと思う。
大人になった今は、いくら猫がかわいくても、ドラム缶に閉じ込めたりはしない。悲しくなることがわかっているからだ。
そんな方法で、独り占めにはできない。殺しても無理だ。
それでもなお、それを殺して、悲しくなって、自分は悪い人間だと思い込もうとする思考は、容易にトレースできる。
悪いことをした人は、自分が悪い人間なんだと思い込む。悪いことをいっぱいして大人になって、今から反省なんかしたら大変だ、という人が沢山いるだろう。