しおりは必要ない

少し前から本にはさむ「しおり」がいらなくなった。終わりまで一気に読むようになったとか、どの箇所から読んでも良いことにしたのではなくて、単に閉じるページを憶えるようにしたからである。
3桁の数字なんてのは、案外忘れない。今読んでいる本は最後に220で閉じている。その前は77だった。しおりの履歴なんて憶えていても仕方ないが、たぶんこの本を読み終わるまでは忘れられないだろう。
220はかなり憶えやすい数字だ。なんとなく可愛いイメージがある。2がアヒルだからだろう。77も強烈な感じがする。すごく意地っ張りのイメージだ。こういう数字は、忘れるほうが難しい。
だが、132とか172とか252とかになると、あまり強イメージは抱けない。3桁の数字は思い出せても、132だったか123だったか・・・と困ることがある。しかし、これは単に数字だけを憶えて数字だけを思い出そうとした場合のみに起こる現象である。本にはページごとに、ページの数だけではなく文章も書かれている(書いてない本は日記帳と呼ばれている)。その文章と数字に関係を持たせてやると、3桁の数字など簡単に憶えることができるのだ。
132などというパンチのない数も憶えることができる。実際に、今ぼくが読んでいる本の132ページを開いてみよう。1行目が
「それから、右に見える五〇二のベランダを見た。」
となっている(本の内容は、マンションで殺人事件が起きるミステリィ)。この場合、132という数字を覚えるときは、「132号室」と憶えれば絶対に忘れないだろう。
1階に32個以上も部屋があるのかぁ、もし部屋が一列に並んでいるとしたら132号室にたどり着くまで長いだろうなぁ、ということも想像してみて欲しい。頭の中で、実際に歩いてみるともっと良いだろう。そうすれば、123と間違いようがなくなる。132号室と123号室は9部屋分も離れているのである。間違うわけが無い。
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といっても実は、読むのに間を空けると忘れていることがある。その時は本の内容も忘れているので、また1から読みなおすということになるが、これはこれで良いのかもしれない。仮にしおりを挟んでおいたら、内容を忘れているくせにそこから読み始めてしまうだろう。つまり、ぼくにとって、どっちにしろしおりはいらないのである。