素直さ

ザクロという果物がある。果実は木からもぎとらずに、あの中身だけをくりぬいておくと、次の日くらいに猿とかの小動物がくりぬいたところにすっぽりと入り込んでいる。このような、小動物の習性を利用したつかまえ方があるのだ。
こういう話をすると、信じる人がいる。そういう人に何度もこういう嘘をついて、あとで嘘だとばらすというのを何回もすると、今度は僕が本当の事を言ってもそれを信じなくなる。本当の事なのに、「嘘」と評価する。まったく情報の取捨選択ができていない。だが、こういう人は貴重だ。素直なのだ。僕みたいに何を言われても、その場で、信じるか・信じないかを決めない人はつまらない奴なのかもしれない。というか、その性格のせいで僕は何回も損をした事がある。
例えばこうだ。高校の時に友達に「次の体育は町の体育館でやるんだって」と言われたときに、僕はそれが本当かどうかわからないので、体操着に着替えたあとに体育の教員のところへ行って、本当か確かめた事がある。結果的に体育は本当に町の体育館で行なうとのことだったのだが、僕がわざわざ教師に確認にしに行っていたのが友達にばれてしまい、「俺の言う事が信用できないのか」と軽く絶交されてしまった。人は人に素直さを求める。割と支配的だ。理解など皆無だ。
とにかく、僕は自分でも確かめたかっただけなんだ。自分で確かめもせずに間違ったら、悔しくて仕方がないからだ。「地球は丸い」ということですら、僕の仲では保留の事象だというのに。
でも僕は時々、本当に仲良くしたい人とのコミュニケーションでは、信じるということをしてみることがある。それがいい結果をもたらす事を知っているからだ。自分の意地をなくして素直さを実行するわけだ。期待にこたえるというのは疲れる。まるで素直じゃない素直さ・・・。