人間が複雑

左目が痙攣するのはストレスの証なのだろうか。2日前からずっとである。生活に支障はないが、あまり気分の良いものではない。
「顔面、痙攣」で検索してみたら、このような症状からやがて顔の半分が痙攣し、顔面全体が麻痺したようになってしまう人もあるようだ。そんなのは嫌だ。
そういえば、いつも引きつり笑いを浮かべている女の子がいるが、あの子もストレスを抱えているのだろうか。その子は可愛いのだが、いつもそこが惜しいと思っている。余談である。
そもそも、別に本題があるわけではないので、すべてが余談である。タイトルも当たり前のことを書いただけだ。人間が複雑。複雑な人間。
単純な人間はどのようにしてそうなったのだろう。強さを求めていることは確か。古くからの友人である山君は単純な人間だが、過去に酷い目にあっている。そうか、だからぼくも、どんどん単純になってきているのだろうか。
考えない、ということは強みである、と山君に指摘したことがある。どうして?と聞かれたけど、教えてあげなかった。もうそこへ到達した人には、必要の無い理由だからだ。
理由が必要である。意味が必要である。弱い人間には。
強くなるには理由を捨てるしかない。言葉を捨てなければならない。意味を超えることが必要だ。
許さなければならない。すべてを。
生き延びることの唯一の答えは、答えを先延ばしにすることだ。
国の事業仕分けは大いに結構だと思うし興味深いが、自分の事業仕分けには消極的である。
強くならんといけん。そう、蓮舫のように・・・。