説明されても納得できない場合もある

書類や何かで住所を書くとき、よく住所と郵便番号の両方を書かされる。毎回それが疑問で、ストレスで胃潰瘍で、こんなことでは出世も望めない。
かなり前に郵便番号が9ケタになり、郵便番号だけで町名までわかるようになった。郵便番号がわかれば、あとは番地と建物の名前だけ書けば良いはずだ。なのに、なぜ両方書く必要があるのか。もし両方必要なのだとしても、どちらかがわかればもう片方もわかるわけで、余計な仕事を書く人に押し付けているだけじゃないのか。
生年月日を書かせておいて、その上年齢まで書かせるものもあるが、これもおかしい。なんでもそうだが、理由のわからない手間というのは、非常にストレスになる。
メールアドレスを二回入力させるウェブページもどうかしている。二重チェックなのだろうが、間違うときは間違うのだ(誤ったアドレスを2度正確に入力することもあるのだ)。それ以前に、間違った個々のケースに対応する手間と、何千何万という人が二回入力する手間を比べてみろ。
これらに共通しているのは、いつも当たり前のような顔(見えないが)をして記入・入力させてくるところだ。こっちは一つも得をしないのに、余計な手間をかけているのだから、少しは申し訳無さそうな顔をしたらどうか。
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という不満を持つ人間がいるのだ。
なぜ住所と郵便番号の両方がいるのか、なぜ二回入力させるのか、説明してもらうだけでぐっと不満は減るのに、それがない(つまり二重の怠慢だ)。
道路が渋滞している時、なぜ渋滞しているのかわからなかったらイライラしてしょうがないだろう。道路情報を聞いて、「ああ事故か、しょうがないな」と納得するのだ。


ちなみにぼくは最近残業が続いているのだが、これがもしゴールデンウィークじゃなかったら、「仕方が無い」などとは思えず、ストレスで胃潰瘍になり、入院を余儀なくされ、若い看護婦と恋に落ちていたところだ。