仮想、社会人

今日は憂うつなことがあったので、気晴らしに中畑君に愚痴ることにした。独り言でもしていれば、いつものように食いついてくるだろう。
―――
「あの時『ははは。そんなわけないだろう』と言われたが、ひょっとしたら、ぼくはリストラされるんじゃないだろうか。いやそうに違いない」
「ちょっとちょっと。それ、もしかして独り言ですか?」
「さてどっちでしょう」
「ああ、やっぱり違うんですか」
「ブッブー。正解は『リストラされる』でした。ボッシュート
「はあ?」
「ひょっとして説明が欲しいかな」
「いらないです」
「では説明しよう。あの時ぼくは上司に、上司っていうのはもちろん中島さんのことだけども、中島さんに『次ぼくがリストラされたりして』と言ったんだ。そしたら『ははは。そんなわけないだろう』と言われた。これでぼくがリストラされることが明らかになったと」
「なったと、じゃないですよ。何でそうなるんですか?もしかして『明らかになる』の意味を私とは違う意味で使ってたりしますか?」
「いや、辞書通りの意味だと思ってくれて良い。君がどういう意味で『明らかになる』を使っているかはわからないけども。というのも、君は以前に『パンツ』という言葉を『ズボン』の意味で使用していたからな」
「それはすいませんでした。じゃあ私はこれで」
「待つんだ」
「しかし彼女は私の言葉を無視し足早にこの場から去ろうとしていた」
「何を言っているんですか」
「たぶん独り言だと思う」
「なぜ自分のことなのに自信の無い言い方をするんですか」
「じゃあ君は自分のことならなんでも自信を持って言えるのか。例えば君は自分の容姿についてどう思う」
「普通だと思いますけど」
「あれ、あまり自信を持って言っていないように見える。その上事実でもない。もうわかったと思うが、自分のことなら自信を持って言えるというのは間違いだ。あ、待つんだ。待ってください」

ぼくは出血大サービスの駆け足で彼女に追いつくと「夕飯を一緒に食べよう。おごるから」と言った。するとなぜか、彼女の機嫌がなおり、もう少し話を聞いてもらえることになった。『誰が何をおごるのか』を聞かれるまでは安心だ。話を続けよう。
「ところで何をおごってくれるんですか?」
ちょっと早く聞きすぎだ。
「うん。よし。焼肉を(君が)おごる」
もちろんカッコ内は心の中で言った。
「わかりました。でもなんでリストラされると思ったんですか?」
「さっきも言ったのだが。中島さんに『ははは、そんなわけないだろう』と言われたからだ」
「だからそう言われてなんでリストラされると思うんですか?なぜこんな回りくどい聞き方をしなくてはいけないのかという気持ちでいっぱいなんですが、焼肉のために聞いてます」
「そんな告白は聞きたくない。いいか、今からぼくが中島さんに何を言われたのか更に詳しく説明してあげよう。まず『ははは』と言われ、次になんと驚くことに『そんなわけないだろう』と言われたのだ。今思い出しても憂うつになる。そして、なぜ君は何回もため息を吐くんだ」
「なぜか今憂うつなんです」
「しっかりしろ。これからが本番だ。この話の鍵は中島さんの言い方にある。言葉にはニュアンスというものがあるだろう」
「つまりなんですか」
「おお、非常にとげのある敬語だな。そう、それがニュアンスというものなんだ。言い方一つで印象はかなり変わる。ありがとう」
「早くつまりの話を聞きたいんですが」
「そこまで聞きたいか。では続きは来週にしようか」
「今日焼肉をおごってくれるならそれでもいいです」
「よし。つまりだな、中島さんは『ははは』と笑った後、ぼくを恫喝するように『そんなわけないだろう』と言った、ということなんだよ。わかったかな」
「わかりました。じゃあご飯食べに行きましょう。あ、そういえば駅前に高級焼肉店ができたんですよ」
「本当にわかったのか。ぼくはリストラされるんだよ。もし理解した上でそれを言っているとしたら、君は薄情者と罵られても仕方ないだろう。しかし反論する機会は与えたいと思う」
「罵られてもいいです」
「じゃあぼくはこれで」
「あ、待て」
―――
確かに焼肉はおいしい。しかし、焼肉と同じくらいおいしいのに、焼肉よりも安い食べ物が沢山ある、という話を中畑君にしてみたが、完全に無視をされた。そして、「まだ誰がおごるのか決まってない」と言った時もそうされた。悪魔かと思った。たぶんそうなのだろう。