No one of us can cut ourselves off from the body of the community to which we belong.誰も私たちの属している世界から自分を切り離すことが出来ません?

朝起きて、自分がどこのだれだか、記憶から呼び起こして、PPという人格をスタートする。朝は昨日から切れてる。人生は不連続だ。
そとで人と会う。今日もすれ違っているとおもう。すれ違っていると認識しているということは、分かり合いたいと思っているからだ。PPは、いつまでそんな幻想を抱きつづけるのか。そもそも、どういうことが分かり合うということなのか、そして、それにどんな意味があるのか。PPは、妥協が足りないだけなのでしょうか。
とにかくPPは、生活がうまくいっているのに、足りてない。満足してない。この、生活がうまくいっているということが、現象としての意味しかもたないからだろうか。生活がうまくいっているとは一体なんなのか。今PPが満足していないならうまくいっていないのではないだろうか。きっとそうだろう。PPは、何を求めているのか、わかっていない。それについて自己分析しなくてはならない。しかし、その結果、求めるものがわかっても、手に入れられないのではないかと、半ば、あきらめている。だから、うやむやにしている。
点が、やたら、多い。