辻仁成著『函館物語』

函館物語


函館の飯屋や、地元人へのインタビュなどで構成されている本である。

ぼくは旅行記が好きだし、飯屋の描写も好きだ。なので、旅行記で飯屋の描写となると大好きになる(なるでしょう?)。少し引用しよう。

実はここの名物ピラフ「シスコライス」は私が上京してから、よく友人たちに振る舞った料理でもあった。もちろんここで食べたものを真似したものだから、本場とはやや違うかもしれないが、レシピを紹介したい。まずたっぷりのバターで絡めておいた炊きたてのご飯とミックスベジタブルをしっかりと炒める。これを塩胡椒で味付けし、(ガーリックを混ぜるのも美味しい)出来上がったピラフの上に大きなフランクフルトを載せて、その上にミートソースを掛けるのだ。非常にカロリーが高いので、ダイエット中の方にはお勧めできないが、私は函館に行くと必ずここのシスコライスを二度は食べる。西海岸の船乗りたちはこんなものを食べてるんじゃないか、と想像しながら食べると格別に旨い。
(p31)


ただレシピを説明しているだけなのに、めちゃくちゃ旨そうである。「シスコライス」という名前もいい。

一方こういう描写もある。

席につくと早速サービスの「いかわた」や「いかごろ煮」などがどんどん出てくる。これが旨い。わたなんか食べられないと思っていたのだが、まるでプロヴァンス料理のタプナードのような味なのだ。そういえば前にコリーヌ・ブレさんが作ってくれたタプナードがこんな味だった。あれはフランスパンになすり付けて食べたのだが、このいかわたもフランスパンと合うのではないか。
(p27)


ぼくは残念ながらプロヴァンスタプナードも、コリーヌ・ブレさんも知らないのだが、こういうのも辻仁成節という感じで、面白いと言えば面白い(さすがにこればっかりになると頭に来るが)。

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冒頭に著者が函館に訪れた理由が書いてある。

父親が転勤族であったために、私には故郷と呼べる場所がない。しかし、私の三十六年間の人生の中で、僅か四年しか過ごしていない函館の占める位置は、とても大きい。今や実家もなく、親戚さえもいない函館だが、友人の数は東京よりも多い。
私は自分の小説の舞台に函館を最も多く描いてきた。(略)今後も、またか、と言われるほどこの地方都市を描いていくつもりだ。
何故、私が函館にこだわるのか。過ごした四年という短い時期が、私にとっては最も多感な青春期だったことは否定できない。しかし私が函館にこだわる理由はそれだけにはおさまらない。函館という歴史のある港自体が持っている幻想的なトポスが私にいまだに何かをなげかけてくるのである。
その魔力が一体どのようなエネルギーによるものなのか、を明かしたくて、いつもふらっと函館を訪れてしまい、行きつけの店や寂れた漁村や頑固に露出する岩場などを訪ねてしまうのだ。意味もなく松風町の電停脇にある飲み屋街で酔いつぶれてみたり、あてもなく市電に飛び乗り終点まで行ってみたり、啄木が愛した永遠に続くのではないかと思われる灰白色の浜辺をどこまでも散歩してしまうのだ。
(p10,11)


これを読んだ時、何故ぼくは辻仁成にこだわるのだろう?と思ってしまった。はじめて彼の著作に触れたのが多感な時期だったことは否定できない。しかし・・・と、引用文の強調部分と同じように、考えてしまったのだ。
考えても、答えは出ない。こういうのは、読みつづけるしかない。辻仁成が何度も函館を訪れるのも、そういう仕組みなんだろう。と思った。

(面白い本だった。著者が撮影した写真が随所に挿入されるのも良い。これがこの本の価値をかなり高めている)