ブログをつけてわかったこと

ぼくは自分が書いた文章を読むのが好きだ。特に好きなのは可笑しなもので、今のところ、プロフィールが一番好きだ。あまり好きでないのは、笑えないもの。特に、可笑しなものに挟まれた笑えないもの。つまり、空気を読んでいない笑えないもの。
そういうものを掲載したとき空気は読めていないのではなく読んでいないという場合が多い。幼稚じみた行為だと自覚してもなお、時どき、そういうことをしてみたくなるのだろう。ぶちこわしにしてしまえ―――そんな欲求を、自分で作ったお山を崩すようなスケールで、表現している・・・? いや正確には、高く積み上げることを目的とした積み木を、まだ上に幾つか乗るだろうという場面で、事前に崩しておくといったような・・・しかしそういう風に解釈してみると、至って正常な、甘め内角どころか、直球ストライクど真ん中の大量生産ベルトコンベアー方式〜産業革命後〜であったりするから、人生いつでも油断が出来ないと思う。
という次第なのだが、やはり誤魔化しているのだろう(「やはり」と言っておいて「だろう」と〆るのも誤魔化している感じがするね)。そういう意味で趣旨を絞った、あるいは一貫しているようなブログはぼくには書けないのかもしれない。一貫しないことを一貫している、とは言えるが、言えるだけである(言論の自由)。