つげ義春『貧困旅行記 (新潮文庫)』

主に昭和40年代から50年代の話だそうだ。貧困旅行と銘うっているが、頻繁に旅をする中、1人8000円の宿に家族で泊まったり、旅先で7万円もする仏像を買ったりしているから、読み進んでいくうち貧乏や節約に焦点を当てた話ではないことがわかる。
だがタイトルは「貧困」旅行記である。なぜだろうか。貧乏生活にありがちな「できるだけ節約」といった強迫観念も出てこないのだ。「貧困旅行記」というタイトルが本の内容と的外れなものであったらこんな疑問は抱かないはずだが、お金はポンと使っているくせに、つげの旅行に「貧困」という印象が当てはまるから不思議に思えてくる。
しかし「貧困」という言葉の意味を考えてみたら、あっさり納得がいった。つげ自身「これから金持ちになることはない」という自覚を持っており、その上貯蓄までしていないから、タイトルに「貧困」とあっても違和感がないのだ。貧乏旅行と考えたからいけなかった。「貧乏な人が旅行をする」という意味なのだ。
つげの職業は漫画家である。彼はその仕事が儲からない事を自分で知っているし、貯蓄をしていないのは、次の文で推測がつく。

以前から仏像は一つ欲しいと思っていたが、時どき古物市に物色に出かけたりしてみても、手頃なものに出会えなかった。鎌倉には骨董屋が多く、寺も多いので期待をして、先日古本を処分した金を用意してきた。
(75p)


本書ではところどころつげの描いた挿絵や写真が添えられる。写真にはつげの妻子が写っていることが多い(家族3人で旅する話が多いため)。妻はおそらく30代、美人ではないが細身で笑顔がすてきな女性だ。子供(息子)は7、8才くらいで、どこかの子役と思うくらいかわいい。ちなみに2人とも全く同じ髪型である。この妻子とつげが、旅をする。小旅行であるから、つげの漫画であるような、家族で転々と放浪するというような話ではない。ただ普通に、連休に旅行にでもいくようなテンションで、ごく近場にでかけるという話が多い。
つげが旅をしたいといえば妻と子供はくっついてくるのだが、子供はともかくとして、妻は何を思って、つげについていったのだろうか。実はこの本を読みながら考えていたことの大半は、つげの妻についてだ。彼女は貯蓄をしないで旅ばかりしたがる夫をどう思っていたのだろうか。観念して許していたのだろうか、それとも心底惚れていたからだろうか、たんに旅が好きだったのだろうか。全部正解のような気もするし、どれも間違っている気もする。
だが、一つだけいえることは、つげの妻は率先して旅を楽しんでいたということだ。無気力にただくっついていたわけではない。次の描写が特にそう思わせた。

そのうちに妻も仏像が欲しいと云い出し、タイミングよく可愛らしい懸仏(かけぼとけ)が目にとまった。一万ちょっとの値で妻はためらわず買い求めた。それは絵馬のような板に大小五体の仏を貼りつけた銅製の素朴なもので、青サビを人工的に細工した、値段からして新モノに違いなかったが「骨董価値は無くとも、自分が気に入ったものこそ値うちがあるのよ」と妻は満足している。
(76p)


彼女は別の場面では、
「これでお金をとるなんてひどいね」
と訪れた観光施設に対してがっかりしてみせたこともあった。これも、旅を楽しもうという姿勢があるからこそのがっかりだろう。

他には、つげの旅行はとにかく歩くことが多く、子供の「足が痛い」と訴える描写が何度もあったのが可笑しかった。ぼくも観光地へ行ったときはとにかく歩く。歩いて疲れきって、それこそ足が痛くなってはじめて「旅をした」という気になれるからである。つげもそうだったのだろうか。それか、歩くことが「貧困」なりの唯一の節約どころだったのかもしれない。そういえばお金が無いのはぼくも一緒である。

貧困旅行記
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