ぼく以外の誰か

先日、山君とブックオフに行った。
山君は「トリビア」の本を2冊、「マジカル頭脳パワー!!」の本を1冊買っていた。なぜそんな本を買うのかと聞いたら、
「100円だったから」
と答えた。
ブックオフは他にも「広末涼子トークエッセイ集」など、冗談としか思えないような本がいっぱいあったが、たぶんぼく以外の誰かが買うから置いてあるのだろう。

本以外にも、一体誰が買うのかと思うような商品はよくみかける(よくみかけると言っておいてしばらく例えが思い浮かばなかったが、こういうのもよくみかける現象だ)。
例えば、マニアなものはそうだろう。ガンダムなどのプラモデルや、モデルガン、または水風船が割れる場面だけを集めたビデオなど(ぼくは少し欲しいが)、趣味趣向が違う人からみれば、「一体誰がこんなものを買うのか」と思うはずだ。そんなものでも、ノドから手が出るほど欲しいと思っている人にとっては、ノドから手が出るほど欲しいと思っているはずである。
「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉がある。誰かが捨てたものでも、他の誰かにとっては必要なものになることもある、という意味だ(それか、それ以外の意味だ)。
はじめは好きだったが飽きてしまったものや、別に好きではないが何かの拍子に手に入れてしまったものは、いずれ捨てられることになる。しかしそれらは多くの場合、他の誰かにとっては価値のあるものなのだ。そうやって、世の中のモノが回っているのだと思う。そうでなければリサイクルショップなど成り立たないし、恋愛も成立しない。

マニアな物とは違い、欲しいとは思うのだが誰が買うのかわからない物もある。1000万円もするような腕時計などがそうだ。一体誰が買うのだろうか。これもたぶん「ぼく以外の誰か」なのだろうが。