この文章も「味」だけを感じとるようにしてほしい

整理整頓された部屋が良い、という風潮がある。本が床に散乱していたり、ゴミが散乱していたり、虫が産卵していたりしている部屋は、一般的に望ましくないとされているのだ。だがはたしてそうだろうか。
区画整理された整然とした街並みよりも、野放図な街並みの方が興味深いのではないか。書道なら、お手本どおりに書けたものよりも、少しくずして書かれた書の方が「味」があるのではないか。
整理は没個性である。見た目は「きれい」かもしれないが、お手本の中にきっちり収まってしまうことで、面白みがごっそり削がれてしまうのだ。
「整形美人」の顔に「味」が無いのは、お手本の中に収まっているからであろう。少しくらい崩れている方が「味」になって魅力的なのである(佐伯日菜子熊田曜子など)。


整理整頓された部屋に、はたして「味」はあるだろうか?
ぼくの部屋には、ある。整理整頓はしていないし、テーブルを舐めれば、この間こぼした醤油の味も感じとってもらえるだろう。だが問題が一つある。ぼくは自分自身の部屋にまで「味」を求めていないのだ。どうやったら「味」の無い部屋になるのか、目下思索中である。