夢のちまた

壁に向かって生卵を投げつづけないと死ぬ、という夢をみたことがある。
こんな夢をみたあとは、その時の恐ろしさを誰かに語りたくなるが、聞かされた方はとてもつまらなそうな顔をする。
「これ夢の話なんだけどね・・・」
と前置きした瞬間から顔が曇っているのだ。
きっと、
「これ嘘の話なんだけどね・・・」
と前置きした時も同じ顔をされるだろう。


話に興味をもってもらうには「事実か嘘か」が重要のようだ。そう考えると、事実に基づいてはいるが脚色が過ぎる、いわゆる「嘘っぽい話」でさえ興味を持ってもらえないのに、確実に嘘(虚構)だと判明している夢の話など、聞いてもらえるわけがない。聞いてくれたとしても、お金を渡すなどしない限り、喜んではもらえないだろう(話をせずにお金だけを渡した方がもっと喜ばれるだろう)。


夢に比べ「ニュース」は事実だからこそ、多くの人が興味をもっている。
なので、
「これは嘘ですが、巨大な台風が接近しています」
「北極の氷が全て溶けました。私がみた夢ですが」
などというニュースがあっても、誰にも興味をもたれないだろう。
だが例外として、面白い嘘ニュースをめざして成功している例もある(Kyoko Shimbun News(虚構新聞社)など)。嘘の話でも、内容が面白ければ興味をもたれるということだ。
そう考えると、ぼくの夢の話が興味をもたれないのは「面白くないから」ということになるが、これは事実に反するので、どこかで話の進め方を間違ったようだ。
しかし、もう一度考え直す気は無い(また同じ答えにたどり着くのは嫌だ)。