世をはかなむ

理解に苦しむニュースばかりだ。
一番最近では、8年間もの間近所の家に嫌がらせをしていた女のニュース(「引越し!引越し!」と叫んでいるやつだ)をみてびっくりした。どうしてあんなことになってしまったのだろうか。
そして新聞に目を通せば「郵政法案、政府案確定は先送り―反対派反発、予断許さず―」の見出しである。なぜ先送りをする必要があるのか理解できないし、反発をする理由もわからない。その上、何の話をしているのかさえ、さっぱり訳がわからないのである。
さいきん理解できるのはスポーツのニュースくらいだろうか。何対何でどっちが勝った・誰々が得点したなどの情報は、理解することはできる。あとは「教師が淫行した」などの記事も「人間がセックスをした」と読みかえることによって理解している。
だがあまりに単純化して理解すると、記事自体は理解できるが、なぜその記事を載せる必要があるのかが分からなくなるなるのが難しいところだ。
どんな記事でも最大まで単純化すると、
「誰かが何かした」
となってしまい、これでは読む意味がなくなってしまう。
だがそもそも、新聞を読んだりテレビのニュースをみることに何の意味があるのだろうか。ニュース番組をほとんど見ず、新聞も読めていない自分が言うべきことではないのかもしれないが。新聞は気づいたら(今まで目を背けていたが)もう10日分くらい溜まっている。急いで単純化して読んでいこうと思う。
「誰かが何かした」
「何かがどうかなった」
「みんなが何かについて話し合っている」
「どこかの国で何かが起こっている」
いい調子だ。意味があるのかどうかは分からないが(もし意味が無くてもよしとしよう。人生でさえ意味があるのか無いのかわからないくらいだ)。