桜・サクラ・さくら

桜は漢字・カタカナ・ひらがな、どれで表記してもよい。人の名前にするときはひらがなの「さくら」だろうか。漢字の「桜」もありそうだ。客のフリをして客寄せをするのは、カタカナの「サクラ」だろう。どれも音は同じSAKURAだが、表記を変えると異なるニュアンスを持つ。というか、異なるニュアンスを持っているモノに合うように、日本人は漢字・カタカナ・ひらがな・ローマ字表記のどれかを選んでいるのだろう。
これは桜に限らず「バカ」でもそうで、厳しい調子の時は「馬鹿」と表記するだろうし、逆に女の子などが甘えた調子で言った時はきっと「ばか」と表記されるだろう(または漢字が思い浮かばない時など)。
考えてみれば何でもそうだ。「桜」や「馬鹿」に限らず「SONY(そにー)」や「しましまとらのとらじろう(縞々寅の寅次郎)」などほとんどの語は、表記を変えると異なる意味を持つ。逆に表記を変えても異なるニュアンスを持たない語を探すのが難しいくらいだ。今回それを探すことはあえてしないが(難しいことが嫌いなどの理由ではない)、とりあえず、いつも使っている言葉の表記を変えて、それぞれの意味を考えてみることにする。そうすれば表記を変えても意味が変わらない語も明らかになってくるかもしれない。

  • 「UNKO」。

「うんこ」はDr.スランプのうんこ。色や形はデフォルメされており匂いは伝わってこない、どちらかというと非現実的なうんこ。
「ウンコ」は人間が出す、犬が出す、猫が出す日常のウンコ。茶色くて臭い、出したらお尻を拭いたり流したりしなくてはいけない、後始末が必要な現実的なウンコ。

  • 「PANTU」。

「ぱんつ」は男性からみた女性のぱんつ。「ふんわりしている気がする」「甘い匂いがしそうだ」などの妄想を抱く時のぱんつ。
「パンツ」は男性・女性別け隔てない、下着という機能としてのパンツ。時にはズボンの意味にもなる。
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ぱっと思いついた上の2語は、表記を変えるとニュアンスが変わってしまう。これは、うんこやぱんつのには幾つかのとらえ方があり、意味が1つではないからなのかもしれない。逆に、意味が1つにしかとれないような言葉なら、表記を変えたとしてもニュアンスは変わらないのではないだろうか。
と思ったが、どうもそういうわけでもなさそうだ。あまり意味が多様でないと思われる「リモコン」でさえ「りもこん」にすることで間抜になってしまう。たんに、ひらがなや漢字の形の印象が大きいだけのような気がする。
壁の落書きで「夜路死苦」というのもあるが、あれも「よろしく」とひらがなで書いたら間抜だし、「こちらこそよろです」などと隣に書かれて会話になってしまう恐れもある。やはり漢字であること・ひらがなであることが重要なのだ。
いつも通り結論が当たり前で限鳴離する。