午前11時。研究室でのことである。
数十分、キーを叩く音とマウスをクリックする音しかしなかった空間で、その数十分の平均から外れた大きな音が発生した。つまり、ミドリ君がこう発言した。
「斎藤君に彼女ができたそうです」
この空間にはミドリ君を除くと僕しかいない。どうやら独り言ではなさそうなので僕は
「へぇ」
と、最小限の返答をした。つまり、相槌をうった。
そしてまた、今までの数十分からみて平均的な静けさに戻った。一分ほどしてまた、ミドリ君はこう言った。
「斎藤君に彼女ができたそうです」
僕の脳はすぐに、「事件だ」と知らせてくれた。少しサービス精神を動員する必要がありそうだ。
「ふうん。それで?」
「その彼女は15歳なんだそうです」
「へぇ、若いね」
「私たちに比るとそうなりますね」
僕はまだミドリ君の意図を量りかねていた。とりあえず、ただの暇つぶしかもしれない、という意見を保留ポケットに入れてある。それと、とりあえずこの会話でこの空間の騒音レベルの平均は確実に上がっただろうということを考えていた。これは現実逃避的な思考だ、という事も自覚しながら。
僕はこの話題には関心がない。ほぼ確信を持って言うが、ミドリ君も同じだと思う。しかし、その確信がゆらぎそうな事をミドリ君は、また、言った。
「気になりませんか?」
「あんまり」
人に詮索されるのが不快で、そこから人を詮索するべきでないという考えが発生し、いつのまにか人を詮索することに興味が無くなってしまったのかもしれないが、この事に関して今の時点で興味を持てといわれるのは無理というものだ。
「あんまり?」
「あんまり興味がないね」
「そんなの、あんまりだわ」
「それ、結構おもしろいね」
やはり、暇だっただけなのだ。僕はそう決め付けて、その後の会話を気楽に(本当に気楽に。この空間の騒音レベルのことを考える必要がないくらいに)楽しんだ。しばらくすると、斎藤君があらわれたのだが、驚くことに先ほど話題にのぼった15歳の彼女と一緒だった。きっと彼女の方が無理を言ったのだろう。斎藤君はかなり照れていた。もちろん僕らに。
15歳の女の子は、アサミと名乗った。アサミ君は、20分くらい、僕とミドリ君に研究の内容とか、普段の斎藤君のことなどを聞いた後、斎藤君とお昼を食べに行った。頭のいい子だと思った。アサミ君が僕らの話を聞いている間、斎藤君はなんだかもじもじしていた。微笑ましい様子だとは思うのだが、僕はなんだか、「ずるい」と思った。アサミ君の顔が、とてもかわいいのがその原因かもしれない。きっとそうだとは思うが、別にずるくはないだろう。とにかく僕は無根拠にずるいと評価した。これから斎藤君に冷たくあたるとしても、斎藤君は「ずるい」ので我慢してもらいたいものだ。