ぼくはおやじの横でお茶をすすりながら、今日ここにきたことを不覚だと思い始めていた。
これを飲んだら帰ろう。おやじに対するもやもやした、ぐちゃぐちゃした、感じ。いま解消できるわけもない。今回は失敗だった。とにかく、自分のほうから訪問しているというだけでかなりの弱みであるし、今回は自分の精神状態も悪く、やはり不覚であったと言う他ない。なにか、おやじに言われたら爆発しそうなので、そうならないことを願う。僕は今日はとにかく、このままで帰りたい。おやじは詰将棋に熱中しているようだから、黙って帰ってもいいだろう。湯飲みをよく磨かれた板間に置いた。玄関へ向う。すぐに、おやじは言った。「帰るのか?」
「帰るよ。また明日来てもいい?」
「いいよ。明日は将棋しようか?」
「いや、どうせ負けるしな。飛車角落ちならいいよ」
「それはいくらなんでも無茶だろう。でも、一回、それでやってみてもいいか」
「園田さん」
「なんだ?」
「今日、放火するよ、この家」
おやじは黙ってしまった。何かジョークを言おうとして、出てきた言葉がこれだった。体中から汗が吹き出す。おかしい。おやじ、なにか、言ってくれ。
何も考えられなくなって、足が家から勝手に逃げていた。表面上は、ただだまって、ゆっくりと家をでただけだろうが。玄関は開いていたのだろうか。ガラガラという扉の音を聞いた記憶がない。
会話の最中、おやじは、ずっと丸い背中を向けたまま、ぼくの状態を正確に把握していた。それだけで、殺したくなった。おやじの方もぼくを殺したいと思ってくれないと、本当に僕はおやじを殺さなきゃいけないじゃないか。