25の夜

いつも唐突に湧き上がってくる気持ちだ。
―――――――寂しい。
お腹が空いているせいだ。何か食べよう。そしたら、一人でも生きていけるだろう。少しくらい辛くても、平気だろう。だから今のうちに、誰かに電話をしなければ。寂しいうちに、誰かに会わなければ。
その前に、アルコールくらい飲みたい。
「それじゃ車に乗れない」今井サユリは呟いた。
電車じゃ行けない。でも、そこしか行くところが無い。
車内で一服すると、サユリは国道4号線を新潟方面へ向かった。冷えた車内で、ずっと握り締めていた携帯電話だけが熱かった。
―――
「今、家の前にいる」今井サユリは携帯で言う。
「今日は無理だ・・・」佐潟ノボルは携帯に言う。
「いつも無理だ」サユリは言う。「お願い。お願いだから。お願いだよ」
「10時過ぎに電話する」ノボルは言う。
「わかった」サユリは安堵の声を漏らす。

サユリは近くの公園の駐車場に車を止めると、シートを倒して横になった。10時まで2時間。寝ることは、たぶんできない。
会えるとは限らない。やっぱり無理だ、という電話かもしれない。電話が来るとも限らない。『無理だ。すまない』そんなメールかもしれない。悪いことばかり考える。でも、良い事ばかり考えていたら、心が持たない。
10時からずっと携帯を見つめていた。もう30分。気が遠くなるくらい時間が長い。33分。着信と同時に通話ボタンを押す。

「・・・」
「どうした?」サユリは言う。
「ごめん。今日は本当に無理だ」ノボルは言う。
「会いたい?」サユリは言う。「無理なのはわかったよ。会いたい?」
「会いたい」
「私も会いたい」サユリは言う。「ねえ、愛してるよ」
「愛してるよ」
「ノボルだけだよ」
「ああ」
「愛してる」
「愛してる」
「もう寝る?」
「うん。おやすみ」
「おやすみ・・・。寂しいよう」サユリは声を震わせる。
「ごめん」
「少しで良いよ。お願い。ほんの少しだよ」
「無理だよ」
「お願い・・・。死んじゃう」
「死なないよ。死んだら困る」
「困る?」
「困るよ」ノボルは言う。
「好きだよ」
「うん。ごめん、切らなきゃ」
「おやすみ」
「おやすみ」

サユリは再びシートに倒れる。

どうして大丈夫なのだろう。このまま死んでしまうくらい脆かったら、そしたら、もう少し大事にされるかもしれないのに・・・。
いや、本当は、もっと相手にされなくなる。
だから、もうずっと、気持ちにブレーキをかける癖ができあがっていた。しかし抑える度に、ますます気持ちは強くなる。わざとではない。忘れたいことの方が深く記憶に定着するじゃないか。それに、何も考えないことはできない。
みんなそうなのだろうか・・・。


この間私が盲目の人を助けたのは、見ないフリをするのが面倒だったからだ。困っている人にはつい声をかけてしまう。別にやりたくてやっているわけではない。
でも、ノボルに対しては違った。気になって仕方が無くて、積極的にこちらから働きかけた。
しかし今はどうか。これは、執着だ。
死ぬほど気になるのに、気にしたくない。意識を違うところに向けようとしても、それが全て逆に働く。
私はどうしたいのだろう。
たぶん、自由になりたい。
そのためには、どうすれば良い?
わからない。
一つも手がかりが無いから、何も考えられない。
だから、馬鹿みたいに生きるしかない。


サユリは奇声を発した。アクセルを目いっぱい踏み込む。いつだって、死ねるんだ・・・。そう考えると少しは落ち着く。アクセルは緩めない。
私の気持ちをあの人はわかるだろうか。そもそも、こんな気持ちを、誰がわかるのだろうか。
でも誰かにわかって欲しいわけではない。だから、同じ境遇の人と話し合ったこともないし、そうしたいと思ったことも無い。ただ早くこれが終ってくれればいいと思うだけだ。
自分からは終わりに出来ない。だから今も、早くサイレンが聞こえればいいと思っている。
もうすぐバイパスが終わる。また今日も、誰も止めてはくれなかった。