ぼっ、ぼく大丈夫かな・・・

先生あのね・・・。

「先生はどうして先生なの?」
「それはね・・・、お前を食べるためさあ!」

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今日は休みだった。タイヤを交換して(今頃・・・)、車の中を掃除して、桜が見える堤防に車を止めてお弁当を食べてから、パチンコに行ってきた。
EVAの「使徒、再び」はどこも盛況だ。空いてる台の方が少ない。今日は2万くらい勝った。
パチンコは統計的には負ける。だから、やればやるほど、負けへと収束する。
パチンコをやっている人は確率に敏感だ。絶えず、投入金額から回転数から当選確率まで、全てを意識している。なのに、やればやるほど負けが確かになるパチンコをやり続けるのは、一体どういうことなんだろう?と時々思う。
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例えば、コインを投げて表が出たら当たりだとする。10回投げて10回表が出ることもあるだろう。しかし100回、10000回と投げつづければ、表が出る確率は1/2へと限りなく近づく。収束するとはこういうことだ。パチンコだって(1/2ということは無いけど・・・)これと同じことである。やりつづける限り、負けへと収束する。
それでも人がパチンコをするのは、自分だけは勝てるかもしれない、という希望からだろう。収束なんて、いつするかわかったものではない。
パチンコをやる人は分かると思うが、1500回回して当たらない台もあるし、100回以内で何度も当たる台もある。でも、1500回回して当たらなかった台が1501回目に当たる確率は、いつだって(およそ)1/300である。これは100回以内で何度も当たった台でも同じだ。パチンコをやる人なら、誰でも知っている。
でもぼくなら、1500回の台には座らない。パチンコをやる人なら、だいたいそうだろう。そこは矛盾していると思う。