えへへ照れ笑い

時に、『ろくでなしブルース』ってすごくいいタイトルじゃないか?なんて、ものすごい唐突だが、そう感じたので言わせてもらった。
ネットカフェで、『ディスコミュニケーション』という漫画を読んだ。これはすごかった。オカルト的な要素が多く、ついていけない箇所も多かったが、全体を通して伝えようとしたものがすごく強い普遍性を持っていたので、それを柱にして最後まで読むことができた。
最初から一貫していた。主人公の戸川(女)が松笛(男)のことを唐突に好きになってしまうのだが、戸川はどうして松笛のことを好きになったのかがわからない。そこで戸川は、その謎を解き明かそうとするんである。これはすごい設定だ。
1巻を開いた時、初期の『ちびまる子ちゃん』みたいな絵だったので女が書いた漫画かと思ったが、この設定が出てきたとき、男が描いたものかもしれないと思った。こんなこと考えるのは、たいてい男だからだ。
でもぼくは、こういうことは考えちゃいけないことなんじゃないか、と思ってきた節がある。
なぜなら、女はこういうことを考えないからだ。ただ楽しもうとするし、ただ幸せになろうとする。ぼくはその横で、まだ謎が解けてないんだけど・・・といつも思っていた。そして、同じように楽しめない自分が、なんだかすごく子供のような気がした。また、相手とぼくは同じ気持ちではないんだなぁと寂しく思ったりしていた。
そして、そのギャップを埋めるために、同じように楽しもうとして、それが必ず失敗した。当たり前である。ぼくは、謎を解き明かしたかったのだ。それに気づいた時、涙が出ていた。

好きすぎて怖かったのは、それを失う事を思って怖かったんではない。その謎があまりにも大きすぎて、絶対に解き明かせないものだったから怖かったのだ。
自分の頭の中で起きていることなのに、理解を超えていて、きっと、一生かかってもわからない。何回会ってもどれだけ触れても、少しも解けた気がしない。だからまた会いたい。もっと触れたい。
ところで、こういうことを書いている時、ぼくの事を知っている人にとっては気持ち悪いことこの上ない文なんだろうなぁとか、ちょっと思っています。もし山君がこんなこと書いていたら、やだし。完。