GYAOより

前は見れなかったGYAOが見れるようになった。ぼくはテレビを持っていないので、これはうれしい。
さっそく「グラビア」のカテゴリをクリックして、その中の、女子卓球プレイヤの四元奈生美の番組を見た。内容は、練習風景と日常、といった感じ。
彼女は、「卓球をはじめたきっかけは?」と言う問いに、「私の母が高校の頃、卓球をはじめたのがきっかけだと思う」と答えていた。
ぼくは反射的に、それはきっかけと言うより原因ではないか、と心の中でつっこんでいた。家にテレビがあった頃は、いつもこうやってテレビに突っ込みを入れていたなぁ、と思う。
GYAOは番組の最初にCMが入る。CMを見る機会もずっと無かったので、これも面白い。番組より楽しみなくらいだ。
携帯のCMでは、世界一の薄さを強調していた。携帯の世界で、未だに「薄い」、ということが売りになるのだろうか。ぼくが持っている携帯は3年位前のものだが、これ以上の薄さや軽さは求めていない。そんなことを追求するより、もっとやることがあるのではないか。
例えば、カスタマイズできる携帯である。頻繁に使用する機能だけのために、極限までシンプルにカスタマイズできる携帯があれば良いな、と思う。携帯には、初期状態のウィンドウズみたいに、余計なソフトが沢山入っているが、ウィンドウズとは違って、それを削除できない(もうできるのだろうか?)。
今では、携帯を持っていない人を探す方が難しい(http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%8E%9D%82%C1%82%C4%82%A2%82%C8%82%A2%90l%82%F0%92T%82%B7%95%FB%82%AA%93%EF%82%B5%82%A2&lr=lang_ja)、というくらい沢山の人が持っているが、その割に、ユーザの満足が置き去りにされている、と思う。
ものすごい分かりにくい例えだが、携帯の進化とは、昔のガンダムのカードダスみたいに、どんどんゴテゴテしていくみたいな足し算の進化だ。ゴテゴテは楽しいが、携帯に楽しさを求めていない人もいる。
「電話とメールだけできれば良いから、新しい携帯は買わない」と言っている人(ぼくのもこれに含まれる)が、おっ、と思うような、洗練された引き算の進化があるといいなぁと思う。