無い人生プラン

ぼくは小学1年生から中学卒業までそろばん塾に通っていた。これだけ長い間通っていたのに、準2級までしかとれなかった。たぶん、ぼくにはそろばんの才能が無かったのだろう。入って1年で初段をとる子もいたので、才能の差だと今でも思っている。
そろばんには、級や段をとるために試験がある。学校が休みの日に、どこかの学校の教室を借りて試験は行なわれる。
知らない学校の教室に入ると、いつも不思議に思ったものだ。自分が通っている小学校の他にも学校があって、そこにはぼくの知らない生徒がいて、ぼくの知らない先生がいる、ということが不思議だった。
掲示板には、クラスの目標や掃除当番表などが張られていて、同じようなことを他でもやっているんだなぁと思って、不思議だったし、ここでのぼくは、とんでもない部外者で、場違いなんじゃないか、と思って、あまり良い気分はしなかった。転校生になるのは無理だな、と思ったりもした。
しかし、当時のぼくには転校話が持ち上がっていた。小学六年生のことである。転校と言うより、地元の中学へは行かず、隣の学区の中学へ行く、という話だが、そこへ行くと、高校受験のときに、県内で一番の高校へ進学できる。だからそうした方が良いのではないか、と親から言われた。先生も賛成している、とも言われた。
自分で言うのもなんだがこの頃のぼくは学校の勉強が良くできた。分からないことは1つも無かったし、簡単すぎて、遅すぎて、退屈だった。
テストで良い点を取っても驚いてもらえないので、どうしたら先生に驚いてもらえるかということに勉強の時間を割いた。例えば、円周率はどうやって求められたかとか、また3.14の先はどうなっているかとか(この頃下50ケタまで憶えた。今でも言える)、多くは算数のことだ。
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ぼくは結局、地元の中学校へ進学した。そこでも勉強は良くできた。授業に出なくてもテキストを読めばすぐ理解できたし、すぐ憶えた。だから関係ない本ばかり読んでいた。しかし、3年生の頃、おや、おかしいな、と思った。テキストを読んでもすぐ理解できないし、なかなか憶えないのだ。それでも、周りに比べたらまだだいぶ勉強ができた。
そしてぼくは、自転車で通える、ということだけを理由に、地元の公立高校へ進学した。学校の勉強はさっぱりやらなくなった。多感な時期で、色々と忙しかったのだ。
高校3年の頃、受験勉強をしようと思ってテキストを買ってきた。数学は理解できたが、他が全くダメだった。特に英語は壊滅的だった。
1ヶ月くらい根を詰めてやっていたら、ある日、お風呂でシャワーを浴びていた時、全身から力が抜けて、しばらく立てなくなってしまった。たぶん、精神的な疲労からである。それまで、嫌なことを継続してやったことが無かったから、耐えられなかったのだろう。ぼくはその日から受験勉強をやめて、その代わり、高校の勉強をちゃんとやるようになった。簡単だとは思わなかったし、スピードも遅いと思わなかった。
どうにか大学へ滑り込み、どうにか(本当にどうにか)卒業し、今に至る。どこかで失敗したかな、と思うことはある。しかし、昔を振り返ってみて、無駄なことは1つも無かったと思う。どれが欠けても、今のぼくにはならない。
もし、今のぼくが自分のことを嫌いだったら、後悔するかもしれない。でも、嫌いじゃないし、今の生活も悪くないと思っている。
ずっとこのままが良い、とは思わないが。これから何ができるだろうか、とよく思う。
そうそう、そろばん教室では、いつも先生に、「いつか後悔するよ」と言われていた。そろばんをやらずに、いつも遊んでいたからだ。あの頃そろばん教室で友達と遊んだことは、とても良いことだった。後悔は無い。これが良くないのだろうか(でも、反省していない)。