悩める年頃

春休みである。恒例の姪がやってきた。休みになるとやってくる。どこも行くところが無いのかもしれない(特に兄貴がそうなのだろう)。もう14である。大きくなったね、などというと、どっちのことを言っているの、などと聞き返されるおそれがあるので(そういう娘なのである)、代わりに、調子はどう?と聞いたら、「すごくいいよ。快便だよ」と返された。以前、便秘の話をしたのかもしれない。少なくとも、1年以上前のはずだが、その続きのつもりなのだろう。冗談ではなさそうだった。頭がいいのか悪いのか、判断しかねる。
―――
SSLって知ってる?」
「いきなりなんだ。知っているよ」
「あれってなんなの?」
「なんなのって、口の聞き方に気をつけなさい」
「おじさま、あれって、なんなのでしょう・・・うー気持ち悪い」
「こっちが気持ち悪いけど、まぁいいや。君はSSLも知らないのか」
「知ってるけど仕組みがわからないんだよ」
「じゃあ調べてたら良い。勉強になるぞ」
「公開鍵方式を利用してる、ってとこまで調べたよ」
「いい調子じゃないか。じゃあな」
「なんだ。やっぱり知らないんだ」
「馬鹿にするな。さては、君は、馬鹿だな」
「共通鍵方式と違って、公開鍵方式は、暗号化と復号化で違う鍵を使うから、取引相手ごとに対の鍵を持つ必要が無くて、鍵の管理が簡単なんだって」
「鍵の管理だなんて、マンションの経営者にでもなるつもりか。残念だったな。君の親では無理だ。車の鍵も持っていないくらいだ」
「おじさんだって車持って無いじゃん。この兄弟って、今時しんじらんないよ」
「口の聞き方に気をつけろと言っただろう。小遣いを減らすぞ」
「なんでおじさんが減らせるの」
「おじさんはなんでもできるんだ。できないこと以外は」
「できることのほうが少ないくせに。ところで、口なのに、なんで聞き方って言うんだろう」
「ところで、SSLの話は終わりか」
「ううん、えっとね、共通鍵方式では、閉じる時も開けるときも同じ鍵を使わなくちゃいけないでしょう?だからって、みんながそれと同じ鍵を使ったら、暗号化の意味がないよね。同じマンションだからって、101号室の鍵で102号室があけられたら困るもん。でも公開鍵方式では、データの暗号化には公開鍵を使わせて、復号化には自分が持っている唯一の秘密鍵を使うんだって。頭いい人がいるなぁって思って、感動しちゃった!」
「そんなことでいちいち感動するな。君より頭のいい人なんていくらでもいる。ぼくをよく見ろ。感動するだろう」
「勘当する」
「それは目上の人から言うものだ」
「もう私のほうが背が高いよ」
「身長の問題じゃない。長い歴史を積み重ねなければ、目上の人にはなれないのだ」
「空白の歴史でもいいの?お父さんが言ってたよ、あいつは4年間空白の時期があるって。何してたの」
「そのことは誰にも話していない。話を元に戻せ。SSLの方がましだ」
「データの暗号化と復号化に違う鍵を使うってのが、いまいち分かりにくいっていうか、ピンとこないよね」
「ピンときたことがあるのか君は。ところで、よくそうすぐ元に戻れるな。おじさんには無理だ。他にも、元に戻らないものが沢山ある」
「それは聞かないであげるよ。OSI参照モデルって知ってる?」
「知ってると思うか」
トランスポート層って何するところなの?」
「そこは、全体の、アレを、ナにするところだ。君のために分かりやすく言うと、仲裁役だ。漁夫の利だ」
「わかりやすくしすぎて、分かりにくいよ。大人ってみんなそうなんだから」
「いいか、知識で圧倒できる、などと思ってはいけない。それは馬鹿のすることだ」
「圧倒しようとなんてしてないよ。おじさんが勝手に圧倒されてるんじゃん」
「床屋に行っておいて、勝手にシャンプーされた、などという言い分は世間では通用しない。ちゃんとシャンプー代も請求されるのだ。どうせ込みになっているのなら、やってもらった方が得だが」
「何言ってるんだか全然わからないよ」
「いいぞ、その調子だ。どんどんわからなくなるといい」
「知識で圧倒する奴は馬鹿だけど、知識で圧倒されるのはもっと馬鹿だって言ったよね」
「誰がだ」
「おじさんがだよ」
「いつ」
「1年と124日前」
「それはぼくのふりをした兄貴だ。なぜなら、その日はぼくは人に言えないところで人に言えないことをしていた」
「なんだ、なりきりだったのかぁ。まったく、兄弟でよくやるよ」
「口の聞き方に気をつけろと言っただろう。小遣いを減らすぞ。それに、なりきりは、弟はやらない」
「えっ、もしかして、お父さん?あれ、でも・・・ああ!わからなくなってきた」
「いい調子だ」