敬語は肩がこる。直のせの時代だ。

事実なのか嘘なのかわからない話を書いてみたり、可笑しい(と思ってもらえるとありがたい)話を書き続けたと思ったら、急にひねくれて、全く笑えないことを書いてみたり、自分のことを書いてみたり、沈んでみたり、浮かんでみたり、いきなり敬体にしてみたりして、読んでいる人は混乱しないだろうか。そういえば、カテゴリもほとんど設定していない。分かりにいだろうな。少なくとも、不親切かもしれない。このままでは読者が離れていってしまうんじゃないだろうか。
などと心配する必要は無いと思っている。このブログで一番多い「読者」は、一つのエントリだけ読んだ、という人だろう。次に多いのがたぶん、二つか三つだけ読んだ、という人だ。全部読んだ、という人は何人もいないはずだ(ぼくを含めないとゼロになるおそれがある)。
ある時期からずっと読んでいる、という人も何人かいるだろう。ぼくはまだそういう人達から、文調を統一しろ、とか、カテゴリをちゃんとつくれ、などと言われたことは無い。もしかしたら思っているかもしれないが、そう思った人は、ぼくのブログなど二度と読まないだろう。気に入ったのでしばらく読みつづけていたが、急に人が変わったようになったので読むのをやめた、という人もいるかもしれない。
ヤフーのようなサイトなら、カテゴリを設定しなければ文句を言われるかもしれない。しかし、こんな小規模な、実用的な情報が1つも無い(これだけは胸を張って言える)ブログでは、そんなことをする必要は無いように思える。つまりこのブログには、pp12ootが書いている、というカテゴリしか無い。ずっと人は変わっていない。
ぼくが気にするほど、人は気にかけていないように思える。スタイルが変わっても、それが面白ければ読むし、つまらなければ読まないだろう。1つがきっかけでしばらく読みつづけても、つまらなくなればそのうち読まなくなるだろう。ある時期にアクセスが伸びたからといって、それと同じような面白さをつくろうとしたり、同じスタイルを続けることに、あまり意味は無いような気がする。
とうよりも、無理がある。
ミクシィで書き溜めたものを選りすぐって、ブログのスタイルに合ったものだけをアップする、ということを最近やっていた。選りすぐるというのが、良いもの中から良いものを選ぶ、という意味であれば良いが、ぼくの場合は単なる消去法である。これが、なんだかばかばかしくなってきた。スタイルにこだわるなら、過去に遡って削除すべきエントリは山ほどある。ブログそのものを削除した方が早いくらいである。
前々からぼくは、はてなダイアリーを自分で読み返しても楽しいものにしようと思っていたが、それに無理があるとも前々から思っていた。楽しいものも書いてしまうし、楽しくないものも書いてしまう。これはもうどうしようもない(もしお金をもらえるなら、どうしようもなくなくなるが)。
初めは、ネットで文章を公開する、ということが楽しいだけだったが、いつからか、はてなダイアリーを宝箱に入れて大事にしすぎていた。これからはもっと乱暴に使おうと思う。ミクシィも、やめだ。直のせだ。これからは、直のせの時代だ。