魂論の時

魂が汚れることをしてはいけない、と言いたい。
例えば、ゴミを道ばたに捨ててはいけない。道が汚れるからではない。自分の魂が汚れるからだ。 だから、掃除の係りの人がいるからいいだろう、とかいう合理的な理由があっても捨ててもいけない。また、魂を取り出して磨くことはできない。 だから、いつか汚した道を綺麗にするしかない。いつかいじめた人に優しくするしかない。

この理屈でいくと、悪いことを沢山した人は、いい事を沢山せずにはいられないはずだ。でも大概、そうはならず、もっと悪いことをする。たぶん、取り返しがつかないくらい悪いことをしたあたりで、新しい価値観を作るのだろう。自分は悪い人間だ、と思い込む。あるいは、みんなもっと悪いことをやっているのだから、これくらいは良いだろう、など。

話がそれたが、 魂が汚れることをしてはいけない、というのは宗教ではない(ぼくは宗教を知らないので、それに含まれない、と断言は出来ないが)。 自分の価値を落としてはいけない、ということだ。
自分の価値を知っている人はその価値を落とすようなことはしない。 だから、自分の価値を知って生きて欲しい。だがその価値基準も、自分の中にしっかり持って欲しい。 そして、自信を持って、人の悪口を言えば良い。 傷つければ良い。 ゴミを沢山捨てたら良い。木を切り倒したら良い。外国に爆弾を落としたら良い。

どうしてそれを良いと決めたのか、しっかりした価値観があれば良いと思う。それでその人の魂が汚れないのなら、ぼくは良いと思ってしまう。すると決めた事をする権利が人間にはあると思う。 だがそれが、本当に良いと思ったのなら、だ。
何度もゴミを捨ててみろ、何度も傷つけてみろ、何度も爆弾を落としてみろ、何十回も、何百回もやってみろ、それで一度も自分の魂が汚れたと思わなかったのなら、もうそれは、その人が、やっても良いことだ。