哀しい夕方

体は痩せ細って、骨格が不自然に曲がっている。目は閉じられ、一見死んでいるように見える。だが、注意深く観察すると、胸がほんの僅かに上下していた。
この猫はあまりに弱りすぎている。手の施しようは無い。ならば、もっと良い場所で死なせてやろう。この冷たい路上でひっそり死んでいくより、ぼくに看取られ暖かい部屋の中で死ぬ方がまだ良いはずだ。
ぼくはその猫を抱えて家までもって帰った。部屋に持ち込み、絨毯の上に置いた。おまえは、ここで死ぬのだ。

しかし猫は、思ったよりも長く生きていた。胸の上下は初めと同じで、ほんの僅かだったが、そのペースはずっと一定を刻んでいる。そして時々、足や耳など、胸以外の部分が動いたりもする。これでは、夜までかかるかもしれない。でも、いいさ。夜までずっとぼくが看ていてやろう。

夕方に母が帰宅した。そのまま1階で夕飯の支度をはじめたようだ。ぼくの部屋は2階にある。普段なら、母は次の日の朝ぼくを起こしに来るまでこの部屋にはやってこない。しかしこの日は、夕飯の直前に母がやってきた。
トントンと階段を上る音が聞こえる。
「夕飯ができたわよ」ぼくの部屋を開け母は言う。「今日はすごいんだから」
「へえ、楽しみだな」ベッドに腰掛けながらぼくは言う。「すぐ行くよ」
そう言いながらぼくは、布団の下にいる猫を押していた。間違っても泣き声なんて、あげないでくれ、そう願いながら、圧していた。
「何だと思う?」母は言う。
「えっとね、ハンバーグかな」
「もっとすごいわよ」
「なら、えっと・・・」
母との会話が長引くほど猫を押す力は強くなった。
母が部屋を出た後、布団をまくった。猫は動いていなかった。胸の僅かな上下も無い。どこをどれだけ見ても、動いている部分は一つも無かった。
哀しい、という思いが心臓を締め付ける。そのままだと息が出来なくなってしまいそうだから、ぼくは吼えた。吼えつづけた。
気付くと横に母がいた。
「またやっちゃったんだね」母は言う。「君は優しいから・・・」母は泣いている。
ぼくの体をなでながら母は言う。
「今日の夕飯はね、君の大好きな鳥のレバーだよ。いつもならすぐ来るのに、今日はこないから、何でかなと思った」涙が母の頬を伝う。「偉いね、タローは。」
ぼくはもう吼えてなかった。涙を流す母の顔を、何度も何度も舐めていた。母が泣くと、ぼくは不安になる。
もう泣かないで、泣かないで。ぼくはもう、哀しくないから。