うそ臭い実話

「ガコーン!」
石を投げたのだ。少年が。トリック・アートなる作品のその反射板に。
しかし、その時作品の周りにいた人たちは、それを一瞥しただけでまた元の美術鑑賞に戻った。仕事、あるいはボランティアで来ている若い(おそらくぼくよりもいくつか若い)見張り役の女性も動かなかった。誰も何も言わなかった。
石は勝手に飛んできたわけではない。投げたのだ。誰が?その少年が。しかし少年は景色にされた。

その少年が、作品から離れて飯を食っているぼくのところへやってきた。

「おにいさんお願いがあります」
「えっ!何?」
「蜂を退治してください。お願いします。手が洗えないのです」
どうやら、手洗い場にいる蜂を退治して欲しいようだった。
「いいよ。でも。怖いからおまえも来いよ」と言ってぼくは腰をあげ、10メートルくらい離れている手洗い場へ向かった。しかし蜂はいなかった。
「おい蜂なんていないぞ」
「えっ本当ですか?よくみてください」
怖いからよく見なかったのがばれたのかもしれない。
今度はよくみてみた。それでも蜂はいなかった。
「うーん・・・いないな。大丈夫だから、手、洗えよ」
「ありがとうございます」
少年は丁寧に、肘から爪の先まで洗っていた。

役目を終えたぼくは、ベンチに戻って飯の続きを初めた。しばらくして飯を食い終え、お茶を飲んでいるとまた少年がやってきた。
「おにいさんおにいさん。おにいさんは何でここにいるの?」
「飯食いに来てんだよ」
「家で食べないの?」
「近くで働いてんだよ。ていうかおまえは何でここに来てんだよ」
「ぼく?ぼくは虫取り」と言って少年は急に走り出したかとと思うと、どこに置いてあったのか、虫かごを持って戻ってきた。「今のところ、バッタとセミの抜け殻を捕まえた」
「抜け殻は虫じゃねぇよ」
「じゃあこれはおにいさんにあげる」
「いらねぇ!」
と言いつつ、受けとってしまった。
セミの抜け殻など小さい頃飽きるほど集めたはずなのに、今見たそれは、なかなかに良かった。蛇の抜け殻などとは違って、セミの抜け殻は、殻の中にいたものの形をほぼ完璧に保っているのだ。超精巧な彫刻作品である。
「本当は欲しいんでしょう?」
「いらねぇよ」見抜かれたと思い、セミの抜け殻を少年の虫かごに戻した。「これ、自由研究か?」
「そうだよ。標本を作るんだよ」
「だったらもっと捕まえないとだめだな」
「そうだけど、わかっているけど、もうほとんど居ないんだ。特にカブト虫は、みんな友達がとっちゃったから、無理かも」
その後、少年は少し黙って、「あっ」と言って走り出した。きっと虫を発見したのだ。

実ははじめ、「石を投げるな」と言おうと思った。でも言えなかった。言っても無駄なような気がしたし、自分に迷惑がかかるまでは好きにさせてやりたいと思った。消極的な意味ではなく、そのほうが自然ではないか、と思えた。つまり言えなかったのは無く、言いたくなかった、のかもしれない。そのように思わせる何かを彼は持っているのだろう。

次の日同じ場所で昼食を取っていると、また少年に会った。虫かごにはモンシロチョウが加わっていた。
昨日よりずっと長く話した。彼はぼくの働いている店を知っていた。年を聞くと、13歳だった。

「夏休みの宿題は?」
「もう全部やった。でも、社会だけやってない」
「すごいな」
「社会は苦手なんだ」
「社会なんてやらなくていいよ」
「うん・・・」彼はぼくの意見に同意できないようだった。「そうだ、今日はゲーム屋に行くんだ。3000円もあるから」
彼はマウンテンバイクに乗って走り去ってしまった。

また次の日も、同じ場所で会った。
彼はぼくにばかり話し掛ける。

ぼくだけが彼を見ることが出来る?
まるで幽霊か、妖精ではないか。

他の人には見えないものが、ぼくには見える?ぼくにそう思わせるものを、彼は持っているのである。