みこし込み

ぼくの働いている会社では、企業イメージアップのため、清掃活動や街のイベントに狩り出されることがある。先日は本社のある街のお祭りに参加し、みこしを担いできた。

夕方からはじまり日が暮れてからもしばらく、2時間くらい担いだだろうか。その間、何度も休憩があり、そのたびにビールが振る舞われるのがうれしかった。
地元の人に注目され、前後を女性に挟まれていたので(はりきる要素が集まったので)、とびきりの大声を出してみこしを担いだ。久々に、何も考えられなくなるくらいくたくたのトランス状態になった。

ふつう、このように燃え尽きた後は寂しいものだ。でも今回は、ほんの少しだけ未練を残しただけで、また元の生活に戻ることができた。一体、何が変わったのだろう。
特に最近こういうことが多いと思う。

昔はもっと駄々をこねていた気がする。 もっと皆で騒ぎたい、もっとあの子と喋りたい、まだ帰りたくない・・・。

寂しくなることがないように周到な何かが築かれたとしか思えない。たぶん、いつからか、たまにあるイベントよりも、いつもの生活を大事にしようということに決まったのだと思う。バンドで言うと「商業主義に流されず、おれたちの音楽をやろう」、ということだ。
こう言うと格好良いが、これは単に、不確定な要素(つまり、予想しても仕方が無い領域に)振り回される労力を意識するようになっただけだろう。 それならば、と、自分の力が及ぶ領域で何かをしようということとになったのだ。

意識的に、どんどん内向きにしている。
だからかもしれないが、外向きの人の労力のいとわなさを見ると、「すごくエネルギッシュでいいな!」と思う。
色んなものに振り回されて効率の悪い人生を送っている、という見方もあると思うのに、こういう見方が出来ている。それは意識的に内向きにしているからで、そしてその前に、そういうことができる精神状態にあるからである。