マイルール

ぼくは嫌いな作家が幾人かいる。例えば、村上龍が嫌いだ。嫌いだが、興味が無いという意味での「嫌い」だ。つまり、もう彼の著作から学ことは無いと思っているという意味での「嫌い」だ。
積極的に嫌いなのは、吉本ばななとか、田口ランディだ。本当に大嫌いで、ほとんどの著作を読んでしまっているくらいだ。
嫌いなら読まなければ良い、と思うだろう。けれど、嫌うには理由が要る。 女性特有さ(おお、偏見だ)の傲慢でもって、「私この人嫌い」と切り捨てることができない。 理由を持って(つまり正当に)、嫌いたいと思っているのだ。

嫌うなら正当に嫌いたい。
これはたぶん、ぼくが、嫌われるなら正当に嫌われたいと思っているからだろう。
気にいらないとか、ダサイとか、生理的な感覚で嫌われてはたまらない、と心のどこかで思っているのだ。しかし、こういった感情は歴然としてある。ぼくもある。

でも、そういう感情で嫌われるのはたまらないと思っている。だからぼくも、そういう感情で他人を否定してはいけない。

そういうルールを持っているのだ。

自分が馬鹿にされたくなければ、全ての人を馬鹿にしてはいけない。