千年生きた男

子供の頃、考えること(空想)の一つに、『千年生きた男』というのがあった。内容は、もし千年も生きている男がいたとしたら、その男はどんなことをしてどんなことを考えているのだろうか、というものである。

千年生きた男は、何をしても目新しくなく、新しいと思えることでも、すでにしたことに似ていて、つまりパターン化していて、繰り返しに過ぎないんじゃないかしら。何を聞いても誰と話しても退屈で、『またこの話か』、とがっかりするばかりじゃないのかしら。

誰も彼の気持ちはわからない。なぜなら、誰も千年生きた人はいないからだ。
彼は孤独で、一人だ。
ああ彼は一人なんだ。
一人・・・独り・・・ひとり・・・。

子供の頃のぼくは、自分の孤独感を、空想の『千年生きた男』に重ねて、自己憐憫していたのだろう。