度を越したパワーへの欲求

山君が空手をはじめるらしい。一体何を考えているのだろうか。呆れるを通り越して頭にきた(「怒りを通り越して呆れる」の逆である)。
彼は週三回はジムで鍛えており、他にもアームレスリングの道場にまで通っている。腕力は十分あるのに(ありすぎるほどである)、これ以上鍛えてどうするのか。誰か殺したい奴でもいるのか。
これでますます彼に勝てる見込みが無くなった。もし勝とうとしたら、少林寺でも始めるか、ナイフか拳銃でも所持するしかないだろう。しかしどれも現実的ではない(拳銃は手に入らないだろうし、少林寺やナイフくらいでは負けるかもしれない)。やはり怒らせないようにするのが一番だ。
とにかく勝とうなどと思わないことだ。そもそも、争いは虚しいものだ。暴力からは何も生れないのである(ぼくの死体以外は)。
彼のことは仲間だと思っておけば良いだろう。そうすれば、いくら強くなっても怖くない。用心棒がパワーアップするようなものだ。
だが限度というものがある。何事もやりすぎてはよくない。例えば、包丁はよく切れるものが良いとされているが、切れすぎる包丁は怖いではないか。腕力だって、普通の強さがあれば良いのだ。リポビタンDのCMのように人を持ち上げる腕力なら心強いが、人を放り投げたりする力は恐ろしいだけである。
山君は更に、人をバラバラにしたりミンチにする力を欲しているように見える。狙いは誰だ?