こういうのを雑感という

よくもまぁこんな日記とも何ともつかないものを1年以上書きつづけてきたものだ。過去ログを読み返して、そう思った。
おもしろいものもいくつかあった。肩の力が抜けていて、自然体で、いいなぁと思うものもある。それと比べて、最近のは空回りしているような気がする。
やることがなさ過ぎるのがいけないのはわかっている。
9/11の選挙の出口調査のバイトをすることにした。これからはちょくちょくこういう仕事をして、社会との接点を持って、お金も少しずつ貯めようと思う。なんとなく、そういう方向へ自分を引っ張った方が良いような気がした。
ぼくだけが認識していることだが(外見的にはあまり変わらないかもしれないという意味だ)、明日あたりからまたリハビリチックな日記が始まるかもしれない(前もあったのだ)。


せっかくだから、ぼくがブログで文章を書くに当たって影響を受けたものや、スタンスのようなものを少し書いておく。かなり狭い話になる。
面白い文章を心がけていた頃は、土屋賢二の著作に影響されていた。今思えばそうだった、という意味ではない。当時からはっきり自覚して、彼の文体を真似て書いていた(少なくともそのつもりだった)。ある程度満足したものができあがり、それが実に楽しかった。これがぼくの、ブログを書く動機の1つである。
彼の本を何冊か読んでいるうちに(最終的に著作のほとんどを読んだ)、ぼくもこういう文章を書いてみたい、と思ったのだ。昔から、何かを好きになると同じことを自分もしてみたいと思う方だった。漫画とかもそう。よく模写をした。
森博嗣にも影響された。彼の真似は少々難しかったが、真似していて楽しい、と思えるまでにはなった。本はまだ読み途中で(つまりまだ得るものがあると思っているわけだ)、今のところ順当にS&M、V、Gシリーズ、女王の100年なんとかシリーズ2作や、ほか短編集などを読了している。実は今日、四季シリーズを一気に『冬』まで読み進めたが、これはなかなか衝撃的だった。へっくんって、そういうことだったのかぁ、とか。あと保呂草が老けているのに抵抗があったり。割とミーハーな読み方をしていたようだが・・・まあいい。
本の他にも、色んなサイトから影響を受けている。つまり、真似をしている。
学んでいると言った方が印象が良いだろう。こういう書き方があるのか、こういう考え方があるのか、そういう姿勢で文章を読んでいる。これはブログを書きつづける限りそうだろう。
というわけだ。今日のところは・・・。