ターナカマキコデゴザイマスケドネー

イトコのカホは、お笑いコンビ「北陽」の虻川にそっくりである。そっくりどころか、虻川よりも虻川な顔をしている(その上声やリアクションまで似ている)。なので、カホをみたあとテレビで北陽の虻川をみると「あれ、虻川度が足りない・・・」と思ってしまう。
これは、ぼくの頭の中に「真の虻川なるもの」があり、それと実際の虻川を比べてみているということだろう。なので実際の虻川よりも「真の虻川なるもの」に近い人(カホ)がいれば、それがより虻川らしいということになる。


カホと違い、コージー冨田は意識的に「真のタモリなるもの」を表現しているが、コージー冨田をみたあとタモリをみて物足りなさを感じることはない。これはコージー冨田のモノマネが下手なのではなく、タモリコージー冨田よりも「真のタモリなるもの」に近いためだろう。
虻川に比べ、タモリはそのキャラクタが明確だから、実際のタモリと「真のタモリなるもの」の差が小さいのかもしれない。ぼく等が「タモリとはこういうものだなぁ」と考えているタモリ像が、テレビで動いているタモリとほぼ合致しているのだ。


今まで書いたことをふまえると、モノマネをしようとおもったら「真の〇〇(人名)なるもの」と「実際の〇〇」の差が大きい人の真似がやりやすいと考えられる。言い換えれば、幻想の余地が大きい人である。
パッっと見スターで芸能人だけれど、よくみると誰だかわからなくなってくるという有名人がいる。そういう人を選べばいい。誰に言っているのか。
ちなみにぼくは田中真紀子板東英二桂小枝のモノマネができる。はっきりいって、似すぎ。