NAZE・・・

数年前の、『ナインティナインのオールナイトニッポン』で次のような場面(会話)があった。
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ゲストのユンソナが、リスナーからの「男は顔で好きになる?」という質問に対し、
「顔は関係ない。会話をしてみて、中身で好きになる」
と答えるも、そのあとの「好きな人の前ではどうなっちゃう?」という質問には、
「好きな人の前ではおとなしくなる。喋ったり出来ない」
と答え、岡村にすかさず、
「そしたら成立せぇへんやん。さっき、喋ってから好きになるって言うたやん!」
とつっこまれる、というものだ。
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(これ以降、上の会話との関係があまりない気がする。あとで気づいたのでこの文を付け足した。)
人は何かを好きになったあとで、「こういう人だから好きだ」「こういう匂いがするから好きだ」「お金をくれるから好きだ」などと、好きになった理由を解明しようとする。
だがこんな説明はただの後付けであり、好きになることにはっきりとした理由など無い。しいて言えば「全体的に好き」となるだろう。なので、限定的に「〇〇という形をしているから好きだ」と言うと、矛盾を抱えることになる。他の〇〇という形をしたもの全てを好きになるわけがないからだ(好きになる人もいるだろうが)。
だがそれでも、人は好きになったものを、「何故これが好きなんだろう・・・」と考えてしまうものである。
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好きになることに理由はないと書いたが、正確には、無いのではなく「定義できないないこと」だと思う。だが、考えることで限定はされていく。
はじめ「〇〇だから好きなのだ」と思ったが、後に別の「〇〇な物」を好きになれなかったとき、「〇〇だから好きなのではない」ということを知り、次に「〇〇が違うなら、△△だから好きなのではないか」などと思い、だがやはり後に別の「△△な物」を好きになれず「△△だからでもない」ということを知る・・・。
これは永遠に続く、終わらない消去法である。
これをし続けると、なぜ好きなのかという疑問にとらわれすぎるあまり、「本当は好きではない」という結論を出すことがある(そういう結論を出したい時の思考なのかもしれないが)。
考えつづけても嫌いにならないものもある。「なぜおっぱいが好きなのだろう・・・」と考え続けたが、嫌いにはならなかった。