そういえば

21年間生きてきたが、今年のエイプリルフールほど何も無く過ぎた日も無かったんじゃないだろうか。いや、考えてみたら去年もそうだった。一昨年もだ。一人暮らしを始めてからそうなのか。
それに比べて、実家にいた頃の4月1日には何かが起こった。それは、「弟が嘘をついて怒られる」という一言に集約される。今からその内容を書くわけだが、あまり面白くは無いと思う。「最近の日記は面白い」と評判なので、たまに面白くないものがあってもいいだろう。←ここが今回唯一の笑いどころだ。
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「4月1日はエイプリルフールと呼ばれておりその日は嘘をついても良い」
ぼくがこの知識を仕入れたのは、小学校高学年の頃ではなかっただろうか。うれしくて友人や弟に嘘をついてみたと思う。しかし嬉しかったのは初めのうちだけで、やがてエイプリルフールの存在自体意識しなくなり、たまにテレビでみたり誰かに言われたりした時に「ああそんなものもあったな」と思うだけになった。
だが弟は違った。ぼくにエイプリルフールの存在を教えられてからは、4月1日に必ず嘘をつくようになったのである。
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ある年の4月1日。ぼくら(ぼく・祖父・祖母)が茶の間でくつろいでいると、弟が飛び込んできて、
「猫が玄関マットにゲロ吐いてるよ!」
と叫んだ。これが最初だったような気がする。
今思い返しても、なんて微妙な嘘なんだ、と思う。つくならもっと酷い嘘をついて欲しいものである。これでは、その日がエイプリルフールだということを考えに含めても、嘘と見抜くことができない。というのも、猫がゲロを吐くのは日常茶飯事のことなんである。こんな嘘をついたのは、騙せる可能性の高さを優先したからだろう。その代わり、本当につきたい嘘は犠牲にしたに違いない。まるで、懸賞ハガキを送るとき、本当に欲しいのはプレステ2なのに図書券に応募するようなものである(しかもこれで外れるんだから頭にくる)。
この嘘を聞いて祖母は大慌てで玄関に飛び出した。しかしマットにゲロはない。祖母が弟に「ゲロなんて無いゃないか」と問い詰めると、弟は楽しくて仕方がないという顔で、
「今日はエイプリルフールだよ!」
と言った。
それで祖母は、
「あちゃあ、こりゃあ一本とられたな!」
とは言わずに、弟をひっぱたいた。
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普通これで「冗談は通じる人間に言わなくてはいけない」という教訓を得ると思うのだが、弟は違った。次のエイプリルフールのターゲットにも祖母を選んだのである(猫の始末は祖母がすることになっていたので、最初の嘘もピンポイントで祖母を狙っていたのだ)。
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「台所の鍋から煙が出てる!」
これが次の嘘だ。また祖母は慌てて台所へ行くと・・・
くりかえしである。
弟はいつも騙すし祖母はいつも騙される。変わったことといえば、弟の逃げ方が少しうまくなったくらいのものである。しかし祖母も効率的に弟にダメージを与えるのがうまくなったようで、一度、手近にあったゲームボーイを投げつけて弟の顔面にぶち当てていたことがあった。こんなことをされるくらいなら、嘘を事前に実現させておいた方がまだ良さそうだ。