う、うらぎったなぁ・・・。

裏切られた、と感じることがある。
例えば辞書で「ひらめき」と引いて、
「ひらめくこと」
とかかれていた場合がそうである。

これは、辞書を引けば必ず納得する説明が書かれていると思っているから、そう感じてしまったのだろう。始めから辞書に期待していなければ、裏切られることなどなかったはずだ。
「裏切られた」という気持ちは時として暴力に変わる。今回の場合、相手が辞書だったから良かったものの、もし人間であったならタダではすまなかっただろう。少なくとも、200円はもらっていたはずである。
そう考えると、期待をするのは危ないことなのかもしれない。
期待は、した分だけそれが達成されなかった時の恨みが大きくなる。しかも、期待さえすれば、どんなことでさえ恨みの対象になりうるのである。
例えば、ゲームセンターで1000円札を両替機に入れたら100円玉が10枚出てきたとする。こんな普通のことでさえ、期待さえしておけば、
「なぜ11枚出てこないのか!」
と怒ることができるのだ。
これで、怒った人がその店の店員にくってかかれば暴力になるし、もし店員が外国の大統領だったなんてことになれば、戦争も免れないのである。
(そんなバカなシチュエーションは無いだろう、と思った人に言っておきたいが、これはありえるありえないの話ではなく、今はただ「こういうこともあるよ」という可能性の話をしているのである。あと、ぼくだってバカだと思ってるから大目に見てほしい)
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暴力は暴力を生むというが、期待が外れたことで得る「裏切られた」という感情こそが、最初の暴力を生んでいるのではないだろうか。
「臭いものは元から絶たねばならない」というから、暴力を根絶しようと思ったら、期待という感情をなくす必要があるのではないだろうか。
「臭いものは元から絶たねばならない」というから、期待という感情を根絶しようと思ったら、人間を滅亡させる必要があるのではないだろうか。
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小中学生の頃、友人と口論をした結果、
「じゃあ人間が滅亡すればいい!!」
という結論を出すことが多かったが、今回もそうなった。またいつかなるかもしれない(ならないことを期待する)。