またむかしばなし

ウマの合う人と時々会うのが理想の人付き合いだ。ウマが合うというのは性格が一緒というのではない。何を考えているか全く理解できないような人でも、ウマだけは合うという人がいる。そういう人と時々でも会えればよい。それで十分だ。そして、それ以外の付き合いは苦痛でしかない。
しかしその苦痛をものともしないような人がいる(きっと痛くないのだろう)。むしろ望んでいるように見えるくらいだ。あの人たちは、なぜウマの合わない人間(ぼくのことだ)と一緒にいることができるのだろうか。こっちがウマが合わないと思っていても相手にとっては合っているのだろうか。そうでなければ、相手はウマが合う合わないを問題にしておらず、たんに「人間」と一緒にいられたら良いという考え(無自覚であっても)なんだろう。
自分がそういう「人間」にさせられていると感じることがある。それは自分が「個人」ではなく、「人間」という概念に下らされているということだ。
ていのいい「人間」として自分が扱われていると感じた時は、とても不機嫌になる。
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小島とは高校2年生の頃知り合った。小島はぼくを「人間」として扱った。
「ちょっと相談がある」
知り合い始め、小島はこんなことを言って、ぼくを家に招いた。どんな相談かと思って家に行くと、小島が大好きだと言うお笑いのビデオを見せられた。きっと飽きるほど見ているのだろう。
「次が最高だから!」
などと言って、ぼくをしらけさせてくれた。しらけるだけならいいのだが、頭にも来た。
「相談って何なんだ」
何回も尋ねた。しかしその度話題をずらされる。
「まぁまぁ」
今思い出してもこの「まぁまぁ」が頭にくる。どれだけ殴ってやろうかとおもったが、いきなりそんなことをするのも異常者のようなので、かわりにさんざん怒鳴り散らしてから帰った。今もそうだが、当時は特にこういう(小島がやったような)方法で自分の時間を無駄にされるのが我慢ならなかったのだ。
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それからしばらくして、今度は、
「九州へ旅行へ行こう」
と言われた。
今思えば、またどうせぼくを「小島の時間」に付き合わせるための嘘なのだろうが、当時は旅行に興味があったので、ついつい話にのってしまい、またあいつの家に行ってしまった。
そうしたらまたビデオをみせられた。前回以上に頭にきたが、また散々怒鳴り散らして帰った。それからは学校でも会話をすることはほとんど無くなり、たまに向こうから喋りかけてきても「用件は何だ」ときき返し、大した用が無さそうだったら「用もないのに喋りかけるな!」と罵倒した。それでもへこたれないで何度か喋りかけてくるので、今思えば少しかわいそうではある。しかし当時はそうすることしか出来なかった。とにかく頭にきていた。
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ぼくに冷たくされたせいか、しばらくして、小島は標的をぼくの友人の宗一君に移した。
宗一君もぼくと同じような考えの持ち主だったんではないかと思う。つまり、自分が「人間」に下らされることに怒りを感じる人だ(ぼく以上に、「個人」と「個人」でしか人と交わらない人かもしれない)。そしてぼくと違うところは、力が強く、喧嘩っ早いことだった。
つまり小島はいつか殴られることになるが、その「いつか」は割とすぐに来た。
それは昼休みの教室、ぼくが宗一君と喋りながら弁当を食っていた時だ。そこに小島が現れ、ぼくらの隣に座ると、彼も自分の弁当を広げた。ぼくらが構わず喋りつづけていたら、唐突に、小島がこっちに話しかけてきた。
小島が何を言ったのかは憶えてない。だが、下ネタや人の悪口でもないのにぼくらの気分を最悪にさせるようなことだった。宗一君は立ち上がると何の迷いも無く小島の顔を殴り飛ばした。
小島の口からは卵焼きが飛び出した。
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高校を卒業したら小島と会う機会はほとんど無くなった。なぜゼロでは無いかというと、小島は山君(ぼくの友人)と親交が深いからだ。だから卒業後も、何度か三人ででかけたことがある。そしてその度、やっぱり時間を奪われているなぁ、と不快になったものである。それは口に出して言うこともある。
「お前の話はつまらん」
これは山君に対して言うこともある。それでもまだ友達なのだからおかしいものである。