しんみり

ここ1年、実家に帰った時は、祖父と祖母の話をよく聞く。昔は途中できりあげるか、話をさえぎるなりして最後まで聞くことは無かったのだが、今はあいづちなんかもしっかりうって、耳をかたむけて聞いている。これができるようになったのは、ぼくが大人になって、その人間が丸くなったからだと思う。あと、これからいつ祖父祖母が死んでしまう(あるいはボケる)かもしれないという危機感もあって、そうするようになったのだろう。
祖母は戦時中の話をよくするのだが、この間の帰省にも、1つ話を聞いた。

祖母がだいたい、小学校2年生の時の話だそうだ。祖母、このときは強く語った。(以下は祖母の語りを簡潔にしたもの)
///
当時、役場に使いに行かされ、そこで小さなうさぎを一匹もらった。
「このうさぎをお嬢ちゃんのお家で育てて。大きくなったらその毛皮は兵隊さんの帽子にするからね」
役場の人にはそう言われた。
うさぎのために小屋をつくってやった。このうさぎは、兵隊さんの帽子になるのだ。粗末にはできない。ご飯もしっかりやった。当時、人間の食うものも満足に無いというときにだ。これ以上ないくらい大事に育てた。だから、うさぎはすぐに大きくなった。そしたら、また役場へ使いにいかされた。
うさぎをもらった時と同じ道を通った。背中のカゴには、バタバタとあばれるうさぎが入っている。役場につくと、釜があり、その中でぐらぐらと湯が煮えていた。
役場の人にうさぎを渡した。そうしたら、なんと、私の目の前でもって、うさぎの皮を「ザーーッ」とむいてしまった。そして、その血だらけの肉の塊を釜に入れると、私にこう聞いてきた。
「この肉は持って帰ってもいいよ。どうする?」
持って帰る事にした。
帰り道、背中のカゴに入っているのは同じうさぎのはずなのに、まるで動かないのが、恐ろしかった。行きはあたたかかった背中が、今は、びっくりするくらい冷たい。死んだからだ。
その日の晩はうさぎ汁がでたが、とても食べられなかった。とても泣いた。
///

―――
なんだか単調な語りになってしまった。昔話調に、「だったそうな」と書いた方がよかっただろうか。人から聞いた話を書くのはむずかしいな。
―――
これからもまだぼくの知らない話が祖父祖母の口から出てくるのだと思う。むかしは同じ話ばかり聞かされて嫌だと思っていたのだが、最近、新しい話がいくらでも出てくることに気付いた。聞き方ひとつなのだ。