でんきはありがたい

3日前に部屋の蛍光灯がきれた。
1日は何でもないことにして(暗いのを無視して)我慢したが、どうも不自由なので、2日目、ここへ越してきてはじめて蛍光灯のカバー(丸くて白いやつ)を外してみた。そうしたら、そこには、32ワットと40ワット、2つの蛍光灯があったのである。
これはおかしい。なぜ、両方が同時にきれてしまったのだろうか。単なる偶然にしてはできすぎている・・・。もしかしてぼくは狙われている・・・?!
いや、もしかしたら、この蛍光灯は2つ同時にきれたのではなく、1つは昨日より前からきれていて、もう1つが昨日その寿命を終えたのではないだろうか。どうも最近この部屋が薄暗かったような気もするし、たぶんそういうことなのだろう。真実とはかくもつまらないものか・・・。
とにかく蛍光灯がきれてしまってから、3日間、ぼくは更に薄暗い部屋で過ごした。その間部屋の明かりは、蛍の光窓の雪さながら、テレビとPCモニタとベッド脇の小さな電球だけであった。この光景はあまり見られたく無い。
そして、今はすっかり明るい。きょう蛍光灯を買ってきたからだ。ちなみにセットで一番安いものを買ってきた。それでもこんなにも明るい。落ちてるゴミや、部屋の汚れ具合がよく見える。あまりに見えすぎて、ぼくの部屋はこんなことになっていたのかと少し愕然としてしまう。
見えるが故の不幸、か。ビリー・ジョエルのオネスティを思い出した。「誠実を求めるなら、盲目になった方が早い」
ぼくの場合部屋を片付けた方が早いと思う。

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32ワットと42ワット2つの蛍光灯が設置されているのは、2つ分明るい、という意味もあろうが、1つが切れたとしてももう1つがあるのでいきなり暗闇になることを回避できるという意味もあると思う。というかそっちの意味の方が重要だ。これには、1つの蛍光灯がきれたことに気がつく必要があるのだが、ぼくは気付かなかった。そして思うのは、もし気付いたとしても、「1つついてるならいいか」と思って新しいのを買わないと思うので、蛍光灯2つ式はぼくにとって意味が無いことにも気付いた。
ちなみに暗いので一番参ったのは、飯を食うとき。うまくない。
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