酔うとこうなる

すべてがアバウトになる。特に顕著なのは清潔に関するアバウトさだ。たとえば皿洗いには、普段の半分の時間もかけなくなる。少しくらい洗剤が残っていても気にしないし、洗剤を使わないで洗ってしまう事もある。それで後に腹が痛くなったりしないのだから、普段もきっとそれで問題ないのだろう。つまり、普段は必要以上に洗っているということで、その過剰分は精神的な安心を得るためにやっているのだ。いや、安心は、すべて精神的なものなんだけども。例えば、肉体的に限界だ、と言ったとき、それを決めているのは何だ、という話ができるだろう。これは、できる、というだけの話で、だからなんなんだと、それに気付いたからといって、この精神的、肉体的という語り方をやめるわけではない。こんなものは、ただの遊びだからである。ことばの遊び(ハンドルの遊びなどの遊び)の部分をなくす遊びだ。なんだかよくわからなくなってきたので、この一言でしめようとおもう。これは全て嘘だ。