深刻じゃないよ太宰治

太宰治『ろまん灯篭』という本を読んでいる。
これは、太宰治の、いわゆる短編集だ。この本は、色々の雑誌に載せられたものを集めたものなので、そういう性質から、すべて一話完結、つまり、オール読み切りとなっていて、どこから読んでもいいことになっている。TVドラマの「ショムニ」なども一話完結であるが、これは、第1話と最終話くらいは、きっちり最初と最後に見ないと、どうも話がわからないので、どこから見てもいいとはいえないが(ただしそれ以外を順番にみる必要は無い)、その点、この、太宰治の『ろまん灯篭』などは、とても優れていて、本当にどこから読んでもかまわないので、偉い。一応、一話ごと、話の頭から読むことと、ページを順番にめくる事(飛ばしてもいけない)くらいは守ってもらわないと困るが(君が)。

ぼくがどうして、この、『ろまん灯篭』についてわざわざ書き始めたかというと、とにかくおもしろいから皆も読めばいいのに、と思ったからである。しかも安いから、もう早く買えよ、ぐずぐずするなよ、とも思っているので、まだ読み終わってもいないのに、こうしてカタカタとキーボードを打っている。
しかし、「おもしろい」と人(他人)に言われただけで、人(人間)は、毎回そのものを買うわけにもいかない。「おもしろい」と言われて、その物を買うまでに、人(人間)は、選別というものをすると思う。つまり、ぼくはこれから、その、人の「物を買う」という時の選別に耐えうるだけの、「『ろまん灯篭』の面白さ」について書かなければいけないわけだが、少し時間をくれと思っている。そんなぼくに、人(他人)は、「いくらでもどうぞ」(低い声で、「待つよ」等)、と言うかと思うと、少し恐ろしいと思うが、ぼくが「くれ」といっているので、仕方ないとも思う。
でも、ちょっと待ってください。
まず1つ言いたい事は、どんな本にでも、必ず面白い所、良い所があるということだ。たとえば、ぼくが、これは酷い、つまらない、買って損をした、と思った本でも、インターネットで検索をしてみると、その本を面白いと言っている人がいる。逆に、ぼくが面白いと思っている本をけなしている人も必ずいる(そういう時は、その人をぼくがけなしてやりたいと思う)。皆にけなされてばかりいる、映画版『デビルマン』などもあるが、この映画だって、面白いと思っている人はいるはずである(この映画を作った監督など)。
(参考:アマゾンのレビューで滅茶苦茶にけなされている『デビルマンhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001M3XH4/250-8713628-0485866
それに、本が出版されるまでには、さまざまな関門があるということをぼくは知っている。その関門をすべて突破した本だけが、出版という日の目をみることができるのだ。それには、まず、紙を作る技術と、印刷の技術が発達した時代に生まれなくてはいけない。これが第1の関門であることは間違いないだろう。次に、色々を経て、出版社に出版を許可される必要がある。これが最終関門。『ろまん灯篭』はそれらの関門をすべて突破して、今ぼくの手中にある。これが面白くないわけが無い。

少し横道にそれるつもりが、横道に力を入れすぎている間にだいぶ疲れてきた。これは本道に力を入れる気が初めから無いのがいけないのだろう。
これではいけないので、しっかりと、引用などをつかって、『ろまん灯篭』の面白さについて語りたいと思う。

これは、太宰治の作品全体にも言えることなのだが、『ろまん灯篭』で面白いのは、自虐的な自分語りだ。たとえば、太宰治は、自分の衣服については、極端に吝嗇(りんしょく)だと言っている。
(引用文は『ろまん灯篭』―「服装に就いて」より)


また私は、どういうものだか、自分の衣服や、シャツや下駄に於いては、極端に吝嗇である。そんなものに金銭を費やす時には、文字どおりに、身を切られるような苦痛を覚えるのである。五円を懐中して下駄を買いに出掛けても、下駄屋の前を徒(いたず)らに右往左往して思いが千々に乱れ、ついに意を決して下駄屋の隣のビヤホオルに飛び込み、五円を全部消費してしまうのである。衣服や下駄は、自分のお金で買うものでないと思い込んでいるらしいのである。


服をあまり持っていないと、季節の変わり目に何を着ていいのかわからない、ということになるが(ぼくもケチなのでよくわかる)、その点でも苦労していたようだ。笑える。



単衣から袷(あわせ)に移る期間はむずかしい。九月の末から十月のはじめにかけて、十日間ばかり、私は人知れぬ哀愁に閉ざされるのである。


そして「洋服」への憧れ。



ついでだから言うが、私は学校をやめてから七、八年間、洋服というものを着たことがない。洋服をきらいなのではなく、いや、きらいどころか、さぞ便利で快適なものだろうと、いつもあこがれてさえいるのではあるが、私には一着も無いから着ないのである。洋服は、故郷の親も送ってさえ寄こさない。また私は、五尺六寸五分であるから、出来合いの洋服では、だめなのである。新調するとなると、同時に靴もシャツもその他色々の付属品が必要らしいから、百円以上は、どうしてもかかるだろうと思われる。私は、衣食住に於いては吝嗇なので、百円以上も投じて洋服を整えるくらいなら、いっそわが身を断崖から怒涛めがけて投じたほうが、ましなような気がするのである。


この短編集、全編、このような調子である。買って損は無いと思うが、図書館で読むともっと損が無いとも思うので、ぼくはケチだ。


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