本は少し読む

たぶん全くまとまらない文になるので、読み流して欲しい。といったって、いつもの文がまとまっているというわけではないのだけど(いつもの文が読み流されていないというわけでもない)、特に今回、絶対にまとまらないのだという強い確信をもって、ここを発散の場と思い、書くというわけだ。
意図せず御大層な出だしになってしまったが、まぁいい。
―――
ブログをまわっていて、思うことがある。それは、みんなが、映画や、TV、あるいは舞台、そういう、いわゆるエンターテイメントのものを、よくみているなぁということである。ぼくがよく見るブログは、エンターテイメントの感想に特化したサイトではないので、特にそう感じるのだと思う。まず、身辺雑記などを書いておいて、次に、さて、今日こんな映画を観ましたよ、感想、丸、のような風に書いているから、すごい。芸術が日常と同化している感じがあり、つまり、それが、生活と同等の感じなのである(同じ事を言っている)。ぼくが思うに、彼らは、息を吸うように本を読み、映画を観る。そして、息を吐くように、その感想、所感を文字にしているのである(呼吸をするようにと言った方が絶対にいい)。とてもぼくには真似が出来ないなぁと思う。感心するしかない。素直に。
まず、ぼくは芸術、エンターテイメントを楽しむ欲求が足りないと思う。精神的に切迫しているから、余裕がないからといった意味ではなくて、単にそのまま、初めから、芸術に対する志向性(これは嗜好性でも別にかまわない。しかし、どっちも違う気もする)というか、興味が少ないのがいけないと思う。いや、興味が少ないということは、決して無い。芸術は素晴らしいと思っている。映画、音楽、絵画、どれも好きだ。しかし・・・。
例えばこうだ。
2004年に劇場公開された映画で良かったものを3つあげ、それらについての感想等ください、という企画を立ち上げているブログがあり(「空中キャンプ」id:zoot32さん)、実はぼくもそれに応募しようかなと、一瞬、僅かに思った。だがすぐに、今年は1つも劇場で映画を観ていないという事に気付いた。去年だって、3つも見ていない。他には、「M-1」。ぼくのアンテナに入っているサイトの多くでは、その所感が書かれていた。これもやはり、便乗しようかと思ったのだが、肝心の「M-1」自体を観ていなかったことにすぐに気が付いたのである。
こうなってくると、本当にぼくは楽しみたいのだろうか、エンターテイメントを観たいのだろうかと、自分を疑わざるを得ない。エンターテイメントを楽しんでいる自分、そうなりたいという欲求が初めにあるだけではないのか、恋に恋しているのではないか、と思えてくるのである。しかし、ぼくは、(まれに)すばらしい映画を観ては、心を揺さぶられ、涙を流し、これを観ないことは人生の楽しみの1つを失うということだ、とさえ思うのである。なのになぜ、もっと観ないのか。
お金の問題があることは確かだ。劇場で映画をみるとなると、安くても1000円はかかる。電車賃もかかるので、1320円。お菓子を買い、外食もすれば、軽く2000円は超えるだろう。たしか、誰だったかは思い出せないが、「貧乏時代、食うものも食わずに、とにかく映画を観た」、と言っていた人がいたと思うが、本当に映画を愛する人なら、そうまでして観るのだ。ぼくは映画を月に1つや2つみたとしても、食うものに困るということは無い。それに今は、映画を観ようと思えば劇場だけではなく、レンタルビデオという方法もあるのだ。しかし、それも借りない。だがぼくは、何度も言うようだが、映画は大好きなのである。その証拠に、このあいだテレビでやっていた『ピンポン』を観て(2度めだが)、泣いた(1度目も間違いなくテレビで観た)。もちろんこの間の『フェイス・オフ』も観た。あれは、だいぶ編集でカットされていた感じがして、別の意味で、泣けてきた。
なぜぼくは、もっと映画を観ないのか。「観たい」という欲求は確かにあるのだが、そう思っているうちに、『もののけ姫』も、『千と千尋の神隠し』もテレビ上映されてしまった。たしかに観れはしたが、もっと、こう、本当は、こっちから観に行きたいのだ。能動的に観たいのだ。
ところで、貧乏でも映画を観ると言っていたのは、水野晴郎であった。ぼくも彼にようになりたい。なぜぼくは、水野晴朗ではないのか。試しに今、「いやぁ、映画って、本当にいいものですね」と言ってみたが、全く似ていなかった。これは、ぼくにモノマネの才能が無いということではない。そんな単純な事ではなくて、全てはぼくの映画に対する情熱の低さ、その為だ。その証拠に、ぼくは板東英二の真似が大得意である。この通り、モノマネの才能はあるのだ。天才と言われた事もあるくらいだから、その点、間違いない。
レンタルビデオでもいいのだ。能動的に、来年は、カットされていない映画を、もっと観ようと思う。
ほら、まとまってない。初志貫徹とはこのことであろう。