師走っとる

4年生が卒論の締め切りに終われている。ぼくは傍観者。
PCが置いてある実習室には、上下スウェットの人が何人かいた(関係ないが、その空間のざっくばらん度は高かった)。そこまでいかなくても、寝癖がついていたり、服がしわくちゃだったりして、身なりにまで気が回ってないのだろうなぁという感じの人が多い。そういうのはみんな男だ。女性はこんな時でも、皆きちっとしているから偉い(一部きちっとしていない人もいたが、普段からそういう人である可能性が高い)。
この事でなくても、普段から思うのは、女性は自分の外見を美しく保つ事への優先順位がとても高いということ。自分が他人の目にどう映るのかを特に重要視して考えている。だから女性の外見の美しさは、ちょっとやそっとじゃ崩れない。少なくとも、卒論が忙しいくらいでは。このようなことから、女性は、外見美に特化した客観性の鬼だと言える(と言われても意味不明で困るだろう)。
そういえば、卒論などの課題を、後々忙しくならないようにあらかじめやっておくのも女性に多い気がする。自分の力量にあわせて無理のない計画を立てられるのだ。やはり、女性は自分の外見だけではなく、さまざまな面で客観性に長けているのだろう。
それに比べて男は、ちょっと他が忙しいと、(低い)客観性が(さらに)低下し、たとえば自分の身なりの事などは、思考からストンと抜け落ちてしまう。さすがに「ストン」とズボン&パンツを落とし、フルチンで人前に出るようなことは無いが、チャック全開などは日常茶飯事であるし、風呂に入らず髪がペットリのまま、歯を磨かずに親父口臭いまま、人前に出てしまう事だってある。
そんな「男」の、客観性の欠如が大きく現れている例として、ぼくの友人の村田君がいる。彼は、特に忙しい訳でもないのに、身なりに気を使うという(とても大事な)ことをしない。その理由を聞いたことがあるのだが、彼の答えは驚くべきものであった。これを美意識の鬼である女性に聞かせたら卒倒しかねないので、ここで公開する事はやめておこうとおもったが、これを読んで倒れた人がいましても、こちらとしましては一切責任をとりかねます、と前置きしたところで公開する。彼はこう言ったのだ。

「だって自分で自分は見えないじゃん」

なるほどー。彼が髭を剃らないのも、鼻毛を切らないのも、こういう信念を持っていたからだったのかぁ、と、ぼくは納得するはずもなかった。当然こう聞いた。
「鏡見た時に嫌じゃない?」
しかし彼はこう答えた。
「見なけりゃいいんじゃない?」
・・・・・・平行線とはこういうことを言うのだろう。この件に関しては、ぼく等の間で特にこれ以上語られる事は無かった。語ることも無かった。
とにかく、彼は、見えるもの、周りがきれいならそれでいいと言い切った。そこに自分は含まれない。著しい客観性の欠如である。鏡部屋に閉じ込めたらどうなるのか、ちょっと見てみたい気もする。目をつぶるのは無し。
ぼくは何を言いたかったのだ?そういえば村田君の鼻毛はここ1年顔をみせてくれないので、少しは気にしはじめたのかもしれません。21歳。遅咲き。

(ところで、男は自分の外見・身なりへの客観性は低いくせに、自分という人間がどう思われているかを異常に気にするので、男は外見を気にしない、というわけではなく、外見の重要さに気がついていないという場合がほとんどです。気がついていると自覚していても、本当に身にしみてわかっている人は少なく、つまり、自分を客観的に見ることができないのが男)


(たまに「男性」の「性」が抜けてただの「男」となっていますが、そういう場合は、その「男」が「ぼく」という一人称に限りなく近づいているだけで、犯罪者が女の場合「女性」と書いておいて、男の場合「男」と表記するような、女尊男卑、マスコミ的な考えではありませんということを、なんとなく断わっておきます)