太郎

たとえば、ある6歳の少年が蝶々をつかまえたとするよ。そして少年、次は、おもむろに両の手を使って、たった今捕まえたそれをぎゅっとにぎりつぶしたとするよ。そしたら一体どうなっちゃうの!?って想像してみるとさ、蝶々は潰れているはずだよね、よっぽど頑丈な蝶々じゃなかったら。
何を当たり前のこと言うかなー、でもね、それをね、そのね、潰れたね、蝶々をね、手のひらをね、開いてね、確認したね、少年はね(大発見!文章に無理やり「ね」をつけてみると「、」で区切る場所がわかるよ!)、自分のやった事に驚いているんじゃないだろうか。失禁はちょっとやり過ぎだと思うけど(実際ちょっと引くよね)、泣いちゃうとか。
その少年がもう少し年をとって、たとえば16歳に、初恋の女の子とはじめてベッドインできたとするよ。そこでもまた、毎日こうしたいと想像していたはずの景色をみて、泣いちゃうかも。うれし泣きじゃないよ。
割と共感できる感情だと思うね。これらを実際に体験した事が無くても(特に異性とのベッドインなんかは経験の無い人がいるかもしれないけど、そこはご免!)、わかってもらえるはずだ。君たちにも似たような経験はあるはずさ。

ところが、ある男、仮に太郎としておくよ。太郎はこの話に対して、このような感想を述べたのだよ。
「そうなることはわかっていたはずだろう。なのにどうして泣くのか」
この太郎、理性の人を貫いているんだね。己が理屈でわかっていること、それが起こったとしても決して驚かないわ、という面をしているんだ。
そのくせ、ぼくがたまに頭をポン!(いや、バン!、あるいはドカーン!グサッ!)と叩いたり、サイフを盗んだり(後で返す)、真に迫った「お前とは金輪際、縁を切る」の演技をすると決まって、
「信じられない!!」
などと言うものだから、こいつのわかってることなどたかがしれてるらしいよ!
―――
こうして太郎君は、ただの強がりで理性BOYを演じていたってことを自ら自白(自ら自白って・・・。笑ってくれよ。はは)したわけなんだ。
・・・・・・・・・そしてぼくはこう考えちゃうんだ。
やっぱり、本当の天才(あるいは××××とか言う?)だったら、何が起こっても驚かないのかなって。
そういう人たちは、「理屈でわかっていること」が、イコールで「わかっている事」になっていると思うんだ(太郎君はそうであろうとしたけど、無理だったね)。でもそれって、まるで現実と想像の境目が無くって、ずっと夢の中にいるような感じなんじゃないかな。それとも、ずっと自分の脳味噌の中を泳いでいるみたいな感じかな。



自分で何を言ってるのか、よくわかんないんだけどね。とにかくそんな人がいたら話してみたいと思うよ(限りなくイコールに近い人はきっといるだろうけどね。)怖いかな。