好き嫌いとグルメ

僕は食べ物に好き嫌いが無いのだが、それは単に味の良し悪しがわからぬ味音痴なのかもしれないと以前書いた。気がする。なぜそう思うことになったかというと、それはいわゆるグルメの存在だ。いわゆるグルメは、あの店の何々という料理がうまいとか、アレとアレ(食い物)の組み合わせは許せないだとか、いつかアレ(食い物)を食べてみたいとか言う。僕ははっきり言って、そういうことを思わない。食に関して積極的にそういう欲求をもてないのだ。消極的に考えてみれば、たまに寿司を食いたいなとは思ったりもするが、いわゆるグルメのそれとは全く違うだろう。
そういうわけで、僕はひょっとしたら味のわからぬ人間なのではないかと思うようになった。世の中、「好きな食べ物」を自己紹介に書いている人がたくさんいるのもその一因だ。カレーライス、ショートケーキ、ラーメン、色々ある。なになにという店のなになに、というものある。ここまでくると完全に「グルメ」であろう。
たしかにカレーもケーキもうまかろう。好きか嫌いかと聞かれたら「好きだ」と答えるに決まっている。しかし、あえて「自分はカレーが好きだ」という動機には絶対にならない。なぜなら僕はその「好き」基準で考えてみると、ラーメンもチャーハンもギョーザもオムライスも唐揚げも納豆ご飯も卵かけご飯も、ヤマザキの食パンでさえ「好き」なのである。なんだ、これは考えてみたら単に「食えるもの」ではないか。つまり、食えたら何でもいいのである。ちなみに組み合わせに関しても、卵かけご飯にカレーライスでもいいし、唐揚げにラーメンでもかまわない。目玉焼きに何をかけられても怒らないくらい、気にしない。もうこれは絶対に、自分が味音痴であるということだ。
ここまで僕が自分の事を味音痴味音痴と卑下するのは、味のわかる「グルメ」という存在のせいだ。彼らのせいで、僕は必然的に味音痴ということになるのだ。ちょっと皮肉っぽいか。いや、ちょっとどころではない。というか皮肉ですらない。
目玉焼きにケチャップをかけてしまうような僕が、君の料理は美味しいねと言っても喜ばれないのだろう。僕は何でも美味しく食べるが、それは本当に美味しいものを理解できないというリスクを背負っているのだ。ああ!なんということか・・・。「これは美味しい」と言うためには、「これはまずい」という風に、まずいものをまずいと理解できる舌をもたねばならぬのだ。ああ僕もたまには、あの店のアレは味が落ちただとか、ソバを食うならあの店に限るだとか言ってみたいものだ。完全に皮肉である。
というか負け犬の遠吠えというか・・・。しかしわからぬものはわからぬのだ。ちなみに僕の好物はどん兵衛である。