研究室にて

大学の正面玄関の正面の公園のその並木の向こうの道をこえた所、つまり大学の正面から公園をつっきりまっすぐ歩いたところに、酒井酒屋がある。酒井という苗字の人が経営する酒屋だ。そこで僕とミドリ君と、僕らと同じ研究室の斎藤君と一緒に酒を買いにいった。酒屋にいくのだから、酒を買うのは当たり前だ。肉を買いに行くのならここじゃなくて、肉屋に行ったほうがいい。僕はジンが飲みたかったのだが、研究室には冷蔵庫も氷も液体を冷やすためのものがないので、日本酒とかワインを買い込んだ。ビールだけはすぐ飲むのでいいだろうということで、とりあえず500ミリリットルのものを3本買った。
店を出ると完全に日が落ちていた。酒井酒屋に入るまではまだ少し明るかったのだが、この数分の間に真っ暗にまでなった。斎藤君は「誰かが急いで暗くしたとしか思えないくらい早いですねぇ」と言いながらビニールの袋からビールのロング缶を取り出してプルタブをひいて飲んだ。それを見たら僕も我慢できなくなって、斎藤君にならって、そうだよねぇとか言いながら、ゴクゴクのみ始めた。ビール程度のアルコール度数でも、自分が今飲んでいるのはお酒だ、と自覚することによって、アルコールが血液に浸透する前にすでに気持ちよくなっている。気分がいい。大学まで歩いて4分もかかるだろうか。それまでには飲みきってしまっているだろう。
僕と斎藤君が気分よくビールを飲みながらゆっくり歩いていると、1メートルほど前を歩くミドリ君が言った「海外では路上で酒を飲むのはヨタ者かホームレスくらいですよ」この言葉で今飲んだビールの分の酔いが消えてしまった。全く無駄なことをさせるものだ。酔うために飲んでいるというのに。
研究室につくとミドリ君は路上で飲めなかった分を取り戻すかのように日本酒をガブのみしだした。やはり、僕らが羨ましかったのだろう、と勝手に解釈した。それにしても、酒の味なんかどうでもいいのではないか。だがしかし、僕らだって酔うためにのむのだが。
「ミドリ君はもう少しゆっくり飲みなよ」と僕は言った。斎藤君も「そうそう、ゆっくり楽しみましょうよ。せっかく今日から休みなんですから。」と言った。まっとうな意見である。僕らは今日も明日もあさっても、休みなのだ。それなのにミドリ君は飲み急ぐ。どうしたものか。ミドリ君は酔うにしたがって、饒舌になる。ミドリ君の、自分で自分を批判する部分が消えてくれたようだ。これからもそれに酒が使われるのだとしたら、少し心配だが。ミドリ君はときどき言葉をつっかえながらも、まるで用意された文章を読み上げるかのように以下のようなことを言った。

他人に理解されるのが言葉だ 
私の感情はそんな単純な言葉で説明できませんと主張する人の 意図しない単純さ
どんな複雑なことでもそれが理解できるまで単純化したものを伝えるしかないのに
それは言葉だ 言語化だ 言語化されたそれを見てそれはわたしの感情を説明できていない と言うのならば 私の観測点が間違っているかもしれない だがそのようにまちがうのは彼女から提示された情報の少なさが原因であるということを彼女は知らない 私をわかってくれない という感情が常に先行することで 自分を正当に評価できるだけの情報を相手に与えただろうかと考えることができなくなっている
私の心は複雑なのですといってそれが言語化されることを拒否する人は 複雑なのではなくて 曖昧にしたいという意思があるだけだ だから相手に完全に自分の情報を渡さない 渡せば渡すほど それはある一つの 多くの人が理解可能なただの よくある形になる
純化されたそれはありきたりな 悲しいくらいに普遍的な感情である
だが 正しいシステムというのは 応用が効くものだ
私たちが頭の中に築いているシステム 多くに応用されるシステムの一例でしかない

彼女は私に自分の感情の単純化を許さなかったが 彼女は自分の感情以外の多くのものを単純化しているではないか 彼女が私に抱いているイメージ そのイメージを語らせたら 腐臭を発するような劣悪な単純化が多くあるに違いない それらは明らかに観測点が間違っていると言うことができる だがしかし 単純化するという行為は複雑を単純なものとして理解することは自分の精神の安定に必要であるので 彼女はただそれだけのための単純化を行っていればいい 自覚なく
要するに 彼女を軽蔑するに正当な理由がここにある
・・・・・・
「彼女」とは明確な対象がいるのだろうか。それが明らかにされないまま、「彼女」という代名詞を連続して使用するミドリ君が少し異様に見えた。斎藤君はこの話が始まる前に寝てしまった。いや、この話が始まりそうになったころに横になったような気もする。僕は逃げ遅れたということか。